たくましく生きるようになった我が子を見て思う (KSさん)

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アンバー今となってはもう随分前のこと、でも当人や親御さんにとっては決して忘れることのできない、人生の中での貴重な一ページになったであろう不登校体験。それをKSさんに語っていただきました。
今もなお教育ネットワーク・二コラの活動に関わって下さっています。どうぞ関心のある方はお読みください。
なおこれは、今回だけでなく次回にも続きます。
 
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息子が学校に行きたくないと言い出したのは、今から六年前の新学期で、小学校の4年生になったばかりの時でした。3年生の時の学校での苦い経験がトラウマとなっていたり、その他にも私が気付かない要因も色々あったと思います。しかし当時の私は、親として何をすれば息子がその状況から抜け出せるのかを知る由もなく、焦りが募るあまりに、無理に学校に行かせようとしたこともありました。
 家に閉じこもって生活していても息子は精神的に不安定だったので、精神科に通い、薬を処方してもらいました。けれども根本的な解決にはなりませんでした。
 不登校になって一年以上が過ぎた頃、主人からフリースクールに通わせるのはどうかと提案があり、初めてぱいでぃあの先生に面談をお願いしたのです。
 
 その後約9ヶ月間、ぱいでぃあでお世話になりました。今振り返っても、私達親子にとって大きな学びの場であり、密度の濃い時間だったと思います。
「薬を飲ませるより、『おいしいお茶が入ったから飲んでね』というお母さんの一言の方がよほど息子さんの力になるのですよ。
「充分な肥料と水と太陽があれば、植物は自分の伸び行く方向に向かってスクスクと育ちます。子育ても同じです。」
 ぱいでぃあの先生方のそれらのお話が今もよく心に甦ります。
 なおかつ、息子が広汎性の発達障害を持っていることも初めて先生から教えて頂きました。初めは衝撃を受けましたが、何故私が当たり前のように理解できることが息子にできないのかを理解できるようになりました。それまで必要以上に息子を叱っていたように思います。
(№2に続く)
 
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息子は5年生が終わる頃、6年生になったら元の学校に通うことを自分で決めました。そしてそれからは殆ど休むことなく学校に通っています。
 何ヵ月か前には「あちこちにぶつかりながら進むのがオレなんだよ」と笑顔で話しており、精神的にも成長したことが感じられました。
 学校からから帰ると相変わらずパソコンのゲームに夢中になっている様子を見ると心配になることが日常茶飯事ですが、きっとこれからも自分の課題を自分で乗り越えながら生きていくことだと思います。 
 ぱいでぃあの先生方は、私達親子のために骨身を惜しまず力を尽くして下さいました。親として、子供の肥やしになるような生き方が大切であることを教えて下さる一方で、先生方もまた、私に糧を与えて下さったと感じています。これからも、ぱいでぃあで過ごした時間を大切にしていきたいと思います。
(№2完)
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