投稿者「ganbarujan」のアーカイブ

新型コロナウイルスって何だろう?−−涙なしの生物学

▼これは以前に、Mさんからご紹介いただいた動画です。

▼「新型コロナウルスが暴れだしたからと、学校がみんな休校になってしまったけれど、大人たちがそんなに怖がっている新型コロナウイルスって何だろう?両親にきいてもよく分からない」という人がいるのじゃありませんか?そういう疑問を持っている人にいいお知らせです。この説明はとても解かりやすい、ほとんど専門用語を使わない「涙なしの生物学」です。つまり、じっくり見れば誰でも理解できるようになっています。

▼そろそろ休校にも飽きてきて学校再開が待ち遠しくなってきた子どもたちも多いでしょう。でも、学校は5月6日の連休明けまでお休みになりそうです。
そこで、そういう何かやりたくてウズウズしている子どもたちへお薦めのタイムリーな「学校外学習」の教材紹介です。自主勉強用の教材として活用してみてはどうでしょうか。🤔

基本的に「教育」とは、本来、本人が自主的に行うものです。現在、学校教育が国民教育の主流となり、勉強は学校で行うものとなっており、家で勉強するのは宿題くらいのものかも知れません。でも、教育の主体は学びて本人であり、例えばそれが子どもの教育であれば子ども自身が主体であるわけです。学校は両親の委託によって教育を代行しているだけです。教育権は両親にあり、学習する権利が子ども自身にあるわけです。
そういう事情からも、今回の新型コロナウイルス騒動をまたとないチャンスと捉え、自学自主の勉強に取り組んでみられることをお薦めします。

新型コロナウイルスを理解するためのやさしい生物学

先進国とは真逆を行く日本の学校教育のヤバさ

この筆者の論調は、一見、幼稚園教育や小学校等の教育に過剰反応ではとも思われるかも知れませんが、保護者へのこれらの忠告はとても大事なことに思います。

大人の都合からではなく子どもの視点から改めて考え直して見てはどうでしょう。

個より全体が優先されていないか、根性論に毒されていないか、政治教育思想に歪みや偏向はないか、自主性は尊重されているか、軍隊的ではないか…。

幼稚園や学校選択の場合には、学園祭や運動会などでよ〜く確かめたいものですね。
学校に委託する以前に、子どもの教育権や学習権は家庭や子どもの側にあるのですから。

それにしても、いつも側にいて子どもの味方であるはずの先生は何をやってるのでしょうね。個人の教育の理想とは裏腹に単なるシステムのコマにならざるを得ない現実があるのでしょうか。
もしそうだとするならば、日本の学校教育において、それはさらなる問題を含んでいることになりそうですね。

先進国とは真逆を行く「日本のヤバい小学校」

カナダの少年、マスク問題の素敵な発明

コロナウイルスで鬱になる人もいれば(自殺した人までいる!)、そこから素敵なアイディアを掴みだす人もいる。

人間は死以外、「体験して無駄になるものはない」、とも言いますが、見習いたい姿勢ですね

3Dプリンターで作ったマスクのパーツが素敵だ!

このいじめ対策、日本ではどうだろう

日本でもやれば効果的かも。ただし、大人社会にいじめがある限り根本的になくなりはしないだろうけどね。

目線のあり方や置きどころが日本とは違うような…

フィンランドのいじめ対策

学校は「どうしても行かなければならない」ところなの?

堀江氏のように「学校は行かなくてもいい」と断言し、一律に決め付けられるか疑問だが、行かないという進路の選択があってもいい。

「学校は勉強するところ、社会性を身につけるところ」というのがその存在理由らしいが、今はその両方とも旬の状態であるか、甚だ疑問だ。学力は学校外で養えるし、疑問を疑問とも思わず理不尽に耐える力が社会性かと思うことさえある。学校の耐用年数はもうとうに過ぎたのでは?

このコロナウイルスで学校が休校になったのは何かの啓示かも知れない。
現代の子どもにとってどんな教育が相応しいのかとくと考える機会にしたいものだ。

学校は「永遠に行かなくていい」ところ?

 

ぱいでぃあで実践した学校外教育とは?ーー卒業生から東大合格者も。でも、みんな同じ仲間の学び&育ち合い−−

▼学校に居場所を失う子どもたち、いわゆる「不登校」の子どもたちの生態は多様である。だが、学校で適正な評価を得られない子どもたちは大別して二つに分けられると思う。一つはいわゆる「落ちこぼれ」と評される子どもたちと、そしてもう一つは、割合は前者ほど多くはないが「浮きこぼれ(噴きこぼれ)」と評される子どもたちである。

▼現在、今は大抵の学校に「特別支援学級」というクラスが設けられていて、ある特定の教科の時はそこに行くことになっている場合が多いようだ。教育行政の側の「出来ない子の対策もしっかりやってますよ」というアピールの場でもあるらしい。だが、一般にあまり評判は良くない。それはその場所が「子どものため」とは言え、やはり区別・差別の空間になっているからだ。「勉強のできる子=いい子」の価値観がどうしても学校教育では支配的だ。
そして、決定的なのが「特殊学級に行く子は出来の悪い子」であるという学校全体の雰囲気である。事実、そこでは本当にほとんどそういう勉強しかしていない。

▼ところで、民間のフリースクールという場では、基本的にそういう区別はない。「フリースクール・ぱいでぃあ」でも、この両方の子どもたちを引き受けていた。そして、一つの空間で同居している。たぶん、ここまではどこのフリースクールでも大体同じではないかと思う。それでもたぶん、不登校の子どもたちにとっては、学校の教室とは違ってずっと快適な空間にはなっているはずだ。だが、やはり不登校という条件では同じように扱われているのに変わりはないだろう。

▼正直言って、教育をビジネスという側面で考えた場合、そうしなければ「経営」が成り立たないのだ。だから、「子どもが主体」と言われたフリースクールTでも、勉強に主体的に取り組める子は取り組むが、他はただそれに従うか、仲間には入らずゲームばかりすることにもなる(そこから「きっちり勉強したい」と回ってきた子がいた)。また、軽度発達障害の子どもたちを専門に扱うS学園でもIQがみんなと合わないとそこを退学してやって来る子がいたりする。
「子ども理解」とか「子どもの味方」と公言しているフリースクールだからといって、実際にそこに通ってみると、必ずしもそこが安住の地ではなく、ちっとも自分らしさを発揮できないという問題も起きて来たりする。もちろん、「相性」としか言えない曖昧な部分もあるのだが。

▼「子ども主体の学校外のフリースクール」とっは言っても、不登校の子どもにとってはやはり様々、額面通りには受け止められない。日本で最初と言われる、不登校の子どもたちの理解と保護を求めた第一弾のフリースクールに続いて、「フリースクール・ぱいでぃあ」は第二弾の形で誕生したフリースクールである。では、第一弾と第二弾のフリースクールでは何が違うのか?
詳しくは別のページで論じたいが、まず自分たちが開始した「日本で最初の不登校専門雑誌・月刊『ニコラ』に取材中に得た「金属バット事件」(父親が息子を金属バットで殴り殺した事件)の生起した大きな問題日本での実践的な「フレネ教育」活動との出会い、そして独自に構想した「遊びの教育学」の具現化この三つが「フリースクール・ぱいでぃあ」設立の動機となっている。
(近頃は、教育ビジネスの視点からの参入はあるが、それは不登校の子どもの目線とはまるで違う。

▼「ぱいでぃあ」は、言い換えれば「遊学統合の、学びと遊びを重視するフリースクール」ということにもなるが、これらの特色を最大限に実現するべく具体的に実行したのが不登校の子どもたちの、いわゆる「落ちこぼれ」と「噴きこぼれ」という二つのタイプを同居させることによって、学校教育では得られない独自の優れた効果を獲得しようというシステムであった。
「学校教育から排除されたに等しいこの二つのタイプの子どもたちを同居させることが一体、可能なのだろうか?」!そう思われた人は多いのではないか?大いに可能なのである。
ただし、この疑問に対して今ここで詳細に語る時間的余裕がない。後日、詳しくそれを語りたいと思う。その代わり、この「ぱいでぃあ」を卒業した子どもたちが現在どうなっているかを例示することで、そのヒントを与えたいと思う。

▼「ぱいでぃあ」を卒業した子どもたちは、小学生の場合は一部の受験組を除いて中学に進学するのが一般的だが、中学を卒業する子どもの場合には、例外を除いて全員が進学である。子どもたちの希望や特性に応じて、県立の全日制高校、パレットスクール、定時制高校、通信制高校、私立高校、民間のサポート校など人それぞれだ。例外的に、国立をねらった子もいれば、中卒で作業所に行った子もいる。だが、今まで行き場のなかった子は一人もいない。
勿論のこと、この子どもたちは学力もバラバラだ。IQ80以下の子もいればIQ140とか、たぶんそれ以上の子も通ってきた(小学生が多い)。その中の一人の子どもの母親が3月11日にメールをくれていた。その子について少し触れたい。

▼その子(仮にS君とする)は「ぱいでぃあ」に4年生、5年生、6年生と通ってきた。それまでは市内の情緒学級、特別支援学級に通っていた子であった。最初は「公立の中学校ではいじめに会う。この子に合った私立の中学校があれば…」という要望だった。だが、その子はぱいでぃあに通い自分づくりに励む中で、今までの表面上の特性とは違う秘めた才能を次第に発揮しだした。そして、新たに獲得した自信によって志望校も変えていった。そして6年生になる段階では学校復帰も可能なほどに立ち直り、学校側の強い要望にも関わらず、S君母子は敢えてぱいでぃあに留まり、ぱいでぃあで中学受験をする選択をしたのである。そして、S君は塾にも一切通わずただぱいでぃあで勉強するだけで(教材は中学受験用トップの問題集を使用)、見事都内の有名進学校に合格したのである。
そして、今回メールを頂いたのは、新型コロナウイルスの件もあり、本郷のキャンバスには合格者を張り出さないと公表していたあの「東大の合否の発表」に関するものだった。今年現役で受験したS君は見事「理一」に合格し、お母さんからの喜びのメールであった。そして、今日19日、改めて電話で母子の喜びの生の声を聞いた。そして、この文章をしたためた。

※ぱいでぃあで実践した「どんな子も同居可能な学校外教育」とはどんなものか、それについては別にページを立てたいと思う。

 

絶対平等のジェノサイドとしてのCOVID-19と日本政府の対応

※小中高等の休校が続きます。学校外教育の場も例外ではないかも。でも、これは子どもの学びを考え直すまたとないチャンスかも。学校に依存しない自立的な学びを考えてみましょう。そのためのできる限りの支援をします。

▼今回の新型コロナウイルス(COVID-19)が何故こうも恐れられたか。インフル、HIV、エボラ…どれとも特定できない、対応が未知の、生物化学兵器にも喩えられるウイルスだったからではないか。

▼それが怖いのは、アメリカの新大陸進出で繰り広げたネイティブアメリカン、いわゆるインディアン虐殺、ジェノサイドの歴史を見ればいいかも。
白人が直接手を下した以上に、現地人にとっては未知の、抵抗力皆無の細菌やウイルスによって滅ぼされたとされている(これには異論もある)からである。

▼今やCOVID-19は人類みな兄弟、人類みな平等でパンデミックを興行中。もしかして、命の平等性を突き付けられて怖がっているのは、今まで特権的な生き方を謳歌してきた連中かもしれない。

▼その中で、日本政府の対応は実に奇妙だ。「一般大衆にはどんどん不安を煽れ!実際いくら死のうと構わない。俺たち特権層には誰も知らない特効薬がある」と言うような振る舞いだ。何故議員達は関係なさそうにマスクもしないのか?(埒外の船後議員が恐れるのはもっともだ。)(中国では日本発のアビガン大量生産でウイルス撲滅だそうな)

▼可哀想に、「特措法」の成立が、世界の狂った為政者たちの末路が示すように、悲惨な終わりの一里塚だということに気付いていない。
望月もその瞬間から新月に向けて崩れだすのだ。老醜は見たくないものだ。

何のために外国語を学ぶのかな…

原爆被爆者の貴重な生き残り。その彼女が語る英語は拙いが、語るべきものを的確に鋭く語る。

小学校から導入されたネイチブ流の語りにあごがれる流暢だが表層的な隷属的な英語学習とは異なる。

何のために外国語を学ぶのか−−今一度考えたい。

この真摯なる言葉に耳傾けよう。

 

新型コロナウイルス騒動、どこかおかしい

facebookの「子どもフォーラム」から

▼新型コロナウイルス騒動、どこかおかしいと思いませんか?

▼例えば、新型コロナウイルス感染拡大が騒がれ始めたアメリカでは、既にその前に、インフルエンザの患者数2600万人、死者14000人を出しています。日本でも近年インフルエンザでの死者数は3000人にのぼるとか。

▼ところが、日本の新型コロナウイルスの死者はわかっているところで僅か(失礼m(_ _)m)6人。
これが改ざんや隠蔽のない正確なデータであるとするならば、インフルと比較して雲泥の差で少ない。感染力も大差なさそうだ。なのに政府もマスコミも、上から下までの大騒ぎ。なぜ?

▼そこに安倍首相による突然の小中高等の学校への休校要請がさらに拍車をかけた。まるでインフルによる3000人の死者は問題ではなく、6名の新型コロナウイルスによる死者こそが何よりも重要なのだとでも言うように。
それなのに、最も懸念される満員の通勤電車はいつも通り何の防御対策もなく運行している。(新型コロナウイルスは青少年よりもむしろ中高年者が危ないとか)

▼これ、どこかおかしくないか?もし、新型コロナウイルスの疑いがあれば、インフルと同じように自主規制し、インフルと同じように扱えばそれほど拡散しないのではないのか。

▼政府の取るべき態度も、いたずらに根拠の希薄な不安を国民に煽るのではなく、まずは率先して「怖がらなくてもいいよ。大丈夫だから。」と国民に呼びかけ、その対応はきっちりと責任をもって行えばよいことではないのか?

▼安倍政権はなぜそれをしない?まるでパンデミックになるのを期待しているのかとさえ思う投げやりな対応だ。
その目的は一体何なのか、人をトリックにかけたマジジャンの手元を見る思いで今後を見守っている。

未来の日本は君たちの手の中に

渋谷の街を、安倍政権批判の5000人の高校生のデモ隊が練り歩く

※ただし、2015/08/03の公開動画だ