自分たちが子どもの教育問題に本格的に関わり始めたのは、それまでの助走期間を脇に置くとしても、子どものいる現場から考える月刊教育雑誌『二コラ』の創刊(1995年6月)からと考えていいかもしれない。そして、世間の目からしてかなりユニークな特色を持ったこの教育雑誌は「日本で最初の不登校専門誌」として、毎日、朝日、読売などの全国紙だけでなく、関東一円の地方紙でも紹介された。
そして、その5年後2000年2月、「ニコラの会」の要望を受けて、不登校の小学生&中学生の学び場&活動の場&居場所として「フリースクール・ぱいでぃあ」が誕生している。
それ以来現在に至るまで、様々なタイプの不登校の子ども達がやって来た。当時、既に、幾つかのフリースクールはあったが、フリースクールとは名ばかりでほとんどがフリースペースに近いものだった。つまり、子どもたちが自由に活動できる居場所であった。
しかし、ぱいでぃあの場合はそれに加えて初めから「学習をきっちりとするフリースクール」として出発した。当時、学校の教員は不登校の子どもたちを大抵マイナスに評価していた。その代表的なものは「勉強ができなくて落ちこぼれた」というもの。しかし、実際は違っていた。学校に行かず勉強もしなくなるから結果として落ちこぼれるのであって、その個性が学校の枠からはみ出るものだとしても、子どもたちは皆より良く生きたいという強い願望を持っていた。
実際に、不登校になる子どもたちはそういう豊かな個性を持っていたが故に逆に学校に居づらくなったり、その子にとっての肝腎のものが評価されなかったり…ということがが多い。
今回、ここに紹介する子も小学4年生でフリースクール・ぱいでぃあに通いはじめ、その中で次第に持ち前の学力を発揮し出し、どこの進学塾にも通わず(前に通っていた進学塾もやめた)都内の有数の私立進学校に合格し、今回、現役で東大に合格したのである。(大学進学にあたってアドバイスしたのは進路選択に関してだけである。)
つまりはその子どもの資質をよく理解し、その子の特有の個性に寄り添い、適切な支援を行うならば、子どもは自らの持てる能力を存分に引き出すということである。
繰り返すが、それはこの子に限らない。どんな子も自分の個性を花開かせようとしてこの世に人間として生まれてくるということである。因みに、やって来た子どもで100を優に超えるIQの持ち主も何人もいた。が、それもまた個性の多彩さという点では他の不登校の子と大きな違いがあるというものでもない。(そういうことも特に謳っていない)
今回、そのⅠクンにも不登校体験談(アンケート)を書いてもらった。それをここで紹介する。改めてその子が当時小学生の眼差しでどう見ていたのかを再確認して面白く思った。(小学校での不登校とその支援、そこでの自己の可能性の開花のための関わりがその後の自己決定なほどとても重要な役割をするということ。その辺りはまだ本人の中では自覚されていないのかもしれない。支援者側からすれば多少残念なことではある。)
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不登校体験談を教えてください(本人用)
不登校の時期:小学5,6年 不登校の期間:約2年
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質問項目
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1
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不登校になったきっかけを教えてください。
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引っ越ししてきたばかりの時期で,周囲の生徒と人間関係があまり上手くいかなかったこと,塾で疲労していたことなどが原因.
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2
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学校に行かないときは、どのように過ごしていましたか。
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勉強,読書など.
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3
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その時の気持ちや考えていたことを教えてください。
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特に何も思わなかった.漠然とした不安はあった.
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4
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保護者や先生にしてほしかったこと、してもらってうれしかったこと、いやだったことを教えてください。
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親がいろいろな本を図書館で借りてきてくれたことが嬉しかった.この時期はかなり本(主に小説)を読んでいたと思う.
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5
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友人や大人(保護者・先生以外)にしてほしかったこと、してもらってうれしかったこと、いやだったことを教えてください。
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引っ越す前の友人と遊んだ時は素直に楽しめた.
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6
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学校に行かなかったことについて、今感じていることや考えていることを教えてください。
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小学校での学習に意味があったとは思っていないので不登校について全く後悔はない.一方中学,高校では数学や物理について議論し合える友人を得ることができ,自分はそれを非常に楽しんでいたので学校に通う意味は大いにあったと思う.自分は現在大学生だが,COVID-19の感染拡大のためキャンパスに通えない中,改めて勉強において大切なのは先生に教わることよりも学生同士で教え合い,議論することだと切に感じているので,不登校の状況にある人たちでもその恩恵が享受できるような環境整備が必要であると考える.
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7
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学校に行っていない人や行かない人に対してのメッセージをお願いします。
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各人に様々な事情があるので必ずしも学校に行くことにこだわる必要はないと思います.しかし勉強自体は非常に面白いものであり,本来決して強要されるようなものではない(schoolの語源であるギリシャ語のscholeが本来“余暇”という意であることは有名)ので自分の興味に基づいて自由に学んでほしいと思います.
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※枠の大きさは変更していただいても構いません。