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「子どものいる風景」から 20140919号 全ての不登校の子ども達に脱・不登校、自己実現の成功体験を! 

「子どものいる風景」から 20140919号 全ての不登校の子ども達に脱・不登校、自己実現の成功体験を! 

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不登校の子ども達は親や周りの人達の関わりを最大の環境として育つ。その人達が子ども達を支援すると言いながら実際には諦めの人生訓を示していることが多い。不登校の子ども達に脱・不登校の喜びを、自己実現の達成感を味わってほしい。


 ▼「フリースクール・ぱいでぃあ」では、敢えてこの文言を掲げたい。確かに、生まれつきの障害等の事情で学校に行きたくても行けないお子さんであったり、自己実現させたいのはやまやまだがそれが難しいと感じている親御さんも多かろう。それでも、あえてこの文言を掲げたい。
  かつて村井実さんという方が『アガトス』という雑誌で「人は皆、良くなりたいと思って生まれてくる」という趣旨のことを述べられていた。同感である。 
 私達の掲げる「生きる喜び・学ぶ楽しさ」という言葉もそれに呼応している。 

▼また、「ぱいでぃあ」という名称も元々はギリシャ語で「遊び」や「学び」を意味する「パイディア」に由来する言葉。とりわけ、その「遊び」という名称に注目した。 
 様々な人間の行為の中で最初に「遊び」という営みに注目したのは『ホモルーデンス』(遊戯的的人間)を世に表したヨハン・ホイジンガであろう。(彼はオランダ人であったがその思想がナチスに警戒されて幽閉されたまま無念な最期を遂げている)。ホイジンガは著書の中で、人間の全ての文化的行為は「遊び」に由来すると語る。学問、芸術、文化、様々な想像力、戦争さえもそこから生まれると。 
 その「遊び」の論はロジェ・カイヨワ『遊びと人間』によって更に発展させられ、現在に至るが、そこで再び「パイディア」という言葉と出会ったのである。 
 「遊び」とは、「いつまで遊んでいるの!少しは勉強でもしなさい!」などと、親御さんがお子さんを叱る時に使うような、そんな狭い概念ではない。 もともと「遊び」と「学び」は同根のもの、通底しているものなのだ。

▼よく、不登校問題の専門家と称される大学の先生などでも、「脱・不登校」とか、「不登校の子どもの成功体験」などという文言に過剰反応して(?)、批判的にみる人もいる。そして、それが一部の親御さん達(重い不登校体験を持つ人に多いかも)の熱烈な支持を得たりもする。 
 たとえば、不登校の状態がまだ完全に抜けきっておらず、様々な精神的支持が必要な段階であるのに(この立ち直り具合も周囲の影響は無視できないが)、本人の意思を無視する形で就労に参加させたりすることがある。すると、当然本人はつまずく。こういう事例は一つや二つではない。そうして、社会参加できないまま、「信じて待つ」ことが奨励される。確かにそれは間違いとは言えない。 

▼確かに、やがてその子は動き出すようになるかもしれない。しかし、それは親が積極的に関わった時ではなく、半ば諦めた時であることに注目したい。諦めきれない親は「いつまで待てばいいんですか」となる。そしてその時本人は5年、8年、10年と引きこもった後のことであることがとても多い。その子の人生にとって最も美味しい時期を引きこもりで潰してしまうに等しい。その意味では、長らく社会から隔離され、軟禁され、幽閉されていた人の生き方に等しい。なんとも無念な無残な生き方であることか。単なるボタンの掛け違いとも言える不登校であったものが、人をここまで悔しい生き方に追い込んでいいものか。 
 「不登校の子に寄り添って」「子どもの気持ちを尊重して」等という言葉は子を思う親には何とも心地よく響く。現場にはあまり関わらず机上で不登校を説く教育の専門家の言は、時には、出口なしで悶える親御さんにとっては救いの天上の声にも聞こえることがあるかも知れない。でも、その陰で「地にまみれて生きる者」は人知れず声もなく慟哭しているかもしれないのだ。そういう声が親御さんの心の耳に響いているだろうか?果たして、 子どもに寄り添うとはそういうことなのか?

▼教育者の視点でもなく、親御さんの視点でもなく、それらを包括し、子ども本人の網膜に映ずる風景に焦点を合わせてみたいもの。 
 しかし、子ども自身はまだ親御さんに庇護される年代。まだ自分の目に映じたものを自分の価値観で判断し、意見を言うことはかなり難しい。(だから、不登校という身体的な行動となったのだが…)ほとんどは親御さんや周囲の声に和して答えている。とかく心優しい子どもほどそうしがちである。不登校の子ども達は実に親思いなのだ。 
 不登校の場合、そのお子さんを支える親御さんを応援することはとても大事なこと。その意味で専門家の言うことに大きな間違いはないのだろうと思う。 
 しかし、それがどれだけ「自分は良くなりたい!」「生きている喜びを味わいたい!」「人としてこの世に生まれた幸せをこの手でつかみたい!」という希望に応えるものになっているだろうか。その意味で、時には人的環境としての親御さんに批判的である。でも、分かってくれる人は分かってくれていると思っている。それに、なぜ子どもが主体であるべき学校で子どもが行けなくなる現象が生じているのにそれを問わず、対症療法的に子どもに迫り、自己実現を求める思いにまでブレーキをかけようとするのか? 
 そういう思いを込めて、「ぱいでぃあ」では「遊びと学びの融合」「生きる喜び・学ぶ楽しさ」を掲げ、不登校を肥やしにしバネにして、自己実現に取り組んでもらいたいと思う。そして、それぞれが皆「自分の思い描く成功体験を実現」してもらえれば最高ではないかと思っている。

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