「子どものいる風景」から 戦争と子ども達 2015年04月09日

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「子どもって何歳までなんでしょう?」という問いかけがあります。でも、日本語で「子ども」って状況により様々。ここでいう子どもとは、一応未成年で、まだ自立できない段階の少年少女というくらいの感覚で捉えています。
でも、この子ども時代の過ごし方、生き方というものがその後の人生に決定的とも言えるほどの影響を与えることになります。「蛙の子は蛙」というだけでなく、自分では選択権のない子どもを取り巻く環境の如何が—その向き合い方を含めて—多大な拘束力を持つことになります。
個人の意志に関係なく、出自とか家系とか帝王学とかが幅を利かすようになるのもそのためです。


▼今回、紹介するのは、日本よりももっと過酷な悲惨な状況の国々に生を受けた子ども達。今の日本には縁遠いかもしれないけれど、これもまたこの地球上で実際に今どこかで起きている出来事なわけです。

確かに今までは遠い対岸のお話でした。しかし、今後、日本は出遅れた船に駆け込む乗客のように、国際社会の一員に仲間入りです。ですから、世界にはこういう現実もあるということをしっかり理解していることが必要になります。

爆撃で生き埋めになった子どもの救出

https://youtu.be/DPUAnsQhEW4

この動画で一つの命を救うためにみんなが協力し合う素晴らしい行動を目の当たりにします。でも、イスラエルのガザへの無差別の爆撃がなければ必要なかったこと。涙なしには見られないこの映像です。
このような状況下で「命が救われただけでも奇跡」という過酷な現実を子どもは生きていくことになります。

 ▼「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて)
<http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/c45f9793732aa7e8116d123f503b3dd9>

皇后陛下が彼とその写真について触れられてから一般に知られるようになったようです。長崎への原爆投下後、報道写真家・ジョー・オダネルが撮影したものです。
当時の少年らしく直立姿勢をとって立つまだ幼い少年が背負っているのは死んでしまった幼児の弟です。弟を焼く順番をじっと待っています。恐らく原爆で両親も失い、そしてたった一人の弟も死んでしまい、じっと悲しみに耐えている姿でしょうか。その後、この少年はどうなったのでしょう。彼自身、生き残れたのでしょうか。

▼占領軍の任務を帯びて、原爆の破壊の様子を記録するために長崎に入ったオダネルは、軍の命令に背き、密かに、30枚の写真を撮影していたのです。その一枚がこの少年の映像。オダネルの行動はアメリカ人の逆鱗に触れます。でも、彼はその地獄絵図を見て、良心の呵責に耐え切れなかったようです。彼の反戦、反原爆活動の始まりでした。

※(因みに、この映像は「ウィンザー通信」という「アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師」のブログから借りたものです。)

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