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「人権」って何だろう?−−−ある警官の行動から

「人権」って何だろう?−−−ある警官の行動から

▼我々の周りには「人権」という言葉が溢れている。「それは人権侵害である」という言い回しもよく聞く。まことに日本という国は人権が大事にされている民主国家だと思ってしまう。
しかし、つい最近まで「ヘイトスピーチ」なるものがデモ行進でも叫ばれていたし、自治体の長を選ぶ選挙戦においても候補者の口から公然とその種の言葉が吐かれていた。それも表現の自由であると言ってはばからない。聞くところでは、自民党の掲げる新憲法草案においてもこの「人権」条項はさっぱりと削除されているらしい。
一体、日本で「人権」はどうなっているのか。

▼「人権」の専門家に問い合わせれば、たぶん「人権」というタイトルの本だけでも夥しい数の類書を紹介されるのかもしれないが、現実に他のナリワイで日々を送っている者にはそんな暇はない。
「人権」と言う時、しばしば事件として取り上げられるのが子ども、女性や高齢者などの社会的弱者の場合である。このどれかは毎日のように新聞紙面やテレビ画面を賑わす。そして識者がコメントする。で、終わりである、大抵の場合には。それでみんな判ったのであろうか。
そこでここでは、誰にでも分かる卑近な例を紹介したい。

男の子の隣に横になる警官  ← クリック

▼アメリカ・インディアナ州の警察官プレシャス・コーナー・ジョーンズ女史がとったこの自然な行動に注目したい。理由は分からないが駄々をこねて床に寝転がり突っ伏した小さな男の子の横に、彼女自身も腹ばいになったのである。「子どもと同じ目線に立ち、笑顔にしてあげる」−−−まさに我が子に接するのと同じ母親の思いになればこそ、こういうさり気ない行動に出られたのだろう。
日本ではどうだろう?最近では沖縄で基地反対やヘリポート建設反対をを叫ぶ高齢者さえごぼう抜きにする警官の行動が痛々しい。本来、国民の「人権」を守るべきはずの警察が国民の「人権」を踏みにじるその最前線に立っている。政治的主義主張以前の問題ではなかろうか。

▼日本では、警察官に限らない。公務員法という規定があり、そこでは国家公務員や地方公務員の「人権」は制限されている。そのように自分たちの人権が制限されている場合、いきおい国民の人権への配慮も疎かになるのはやむを得ないことではなかろうか。
この女性警官の場合には、国民の人権を守る立場としての自覚だけでなく、なかなか思いを周りに伝えられず、おもどかし悔しい思いのする子どもの目線に立ってその気持ちをおもんばかった一人の母親として自然な行動の発露であったと思われる。
もし、学校の先生にもこの気持ちのゆとりと想像力があったのなら…きっと不登校の子ども達も今ほど多くはならないのではなかろうかと考えてしまう。そのためには、日本の公務員にももっと人権を享受できる職場環境を保証したいものである。

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◆ 不登校は、なぜ生まれるの? なぜなくならないの?ー(1) ◆

 不登校は、なぜ生まれるの? なぜなくならないの?ー(1) 

▼学校で不登校にならないように、今では就学時検診と言うのもが広く行われています。
 だから、少なくとも身体的なことはクリアーできていたはず。それなのに我が子は不登校になってしまった!……そんな思いはありませんか。

 「理不尽です。納得がいきません!」

 そういう親御さん、結構多いのでは?
 

 そこで、不登校が生まれる<学校という教育システム>について、ちょっと考えてみましょう。

▼不登校は、子どもに起因するものもありますが、<日本の学校制度>に起因するものも多いのです。

 就学時検診では問題がなくても、その後に障害児的な症状を発症する場合もあります。

 身体に不具合が起きた…、自閉傾向など精神状態が悪化した…、学業などで適応が困難になってきた……などなど。

 でも、その場合にも、必ずしも本人のせいには出来ないいろいろなことがあります。

 その中でも、身体的なもの、知的障害的なものに関しては、教育行政機関の側でも多少対応が進んできたように思います。

 でも、そこに親御さんが不満を持たれるとすれば、それは

 我が子が人間らしく扱われていない!

 ということになることがあるかもしれません、

▼学校という教育機関に限らず、たとえば養護施設、特別学級、病院、少年院、刑務所、精神病院、孤児施設…などの公的な機関やそれに類する機関…。

 そこでは、その中に収容される人たちはみな、何らかの意味で「完全な指導者」に対する「不完全者・未熟者」という構図になっており、そこでは<普通>という名の健全な状態に戻ることが課題とされます。

 単純化すれば「完全なる人が不完全なる者を矯正する」ための収容所という図式です。

▼それに対して、本来フリースクールという民間の教育機関は、まだ日本に近代学校制度が存在する明治期よりも前の、江戸期に隆盛を極めた個人の育成を目的とする寺子屋にそのルーツを遡るものです。

 そして現在は、文科省の許認可に関係なく、不登校の子ども達の重要な支援の場となっています。

 ところが、不登校支援を本来の目的とする日本の民間の教育機関と称される、たとえばフリースクールやサポート校など今、ほとんど当初のそのような目的から離れてしまっています。

 その大部分は今、障害や疾患が強く、そういうサポートが欠かせない子どもたちを対象にした厚生福利施設として活動しています。
 不登校支援という当初の目的はサブタイトル的な運営となっています。
 なぜそうなってしまったのでしょうか?

 日本の教育制度を見れば一目瞭然です。

▼文科省認可の公立学校や私立学校には税金や助成金が投入されます。民間の教育機関には1円も投入されません。
 しかし、フリースクールの側は学校を離れた子ども達を独自の視点から支援するために、文科省に一元管理されないそういう条件を敢えて良しとして来たのです。

 そのため、不登校支援の日本のフリースクールやサポート校のほとんどは、その生き残り策として、厚生労働省管轄下の障害児支援事業を行うことを主とするようになりました。
 不登校支援が主たる目的ではなく、不登校ビジネスが主となったわけです。

▼そうなると、奇妙な逆転が起こります。「不登校は早期に立ち直らせるものではなく、いつまでも続いてほしい状態」になるわけです。今、不登校支援の仕事はそういう難しい場面にあります。
 利用者の慎重な見極めが求められるところです。

 「不登校はなぜ起きる?」…この問い掛けは、「不登校はなぜ義務教育で起きるの?不登校になるのは何が問題なの?」と言い換えてもいいかも知れません。
 これは「義務教育なのに学校を離れると何の教育的恩恵も受けられなくなる」とこと連動しています。

(続く)


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「子どものいる風景」から 戦争と子ども達 2015年04月09日

「子どもって何歳までなんでしょう?」という問いかけがあります。でも、日本語で「子ども」って状況により様々。ここでいう子どもとは、一応未成年で、まだ自立できない段階の少年少女というくらいの感覚で捉えています。
でも、この子ども時代の過ごし方、生き方というものがその後の人生に決定的とも言えるほどの影響を与えることになります。「蛙の子は蛙」というだけでなく、自分では選択権のない子どもを取り巻く環境の如何が—その向き合い方を含めて—多大な拘束力を持つことになります。
個人の意志に関係なく、出自とか家系とか帝王学とかが幅を利かすようになるのもそのためです。


▼今回、紹介するのは、日本よりももっと過酷な悲惨な状況の国々に生を受けた子ども達。今の日本には縁遠いかもしれないけれど、これもまたこの地球上で実際に今どこかで起きている出来事なわけです。

確かに今までは遠い対岸のお話でした。しかし、今後、日本は出遅れた船に駆け込む乗客のように、国際社会の一員に仲間入りです。ですから、世界にはこういう現実もあるということをしっかり理解していることが必要になります。

爆撃で生き埋めになった子どもの救出

https://youtu.be/DPUAnsQhEW4

この動画で一つの命を救うためにみんなが協力し合う素晴らしい行動を目の当たりにします。でも、イスラエルのガザへの無差別の爆撃がなければ必要なかったこと。涙なしには見られないこの映像です。
このような状況下で「命が救われただけでも奇跡」という過酷な現実を子どもは生きていくことになります。

 ▼「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて)
<http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/c45f9793732aa7e8116d123f503b3dd9>

皇后陛下が彼とその写真について触れられてから一般に知られるようになったようです。長崎への原爆投下後、報道写真家・ジョー・オダネルが撮影したものです。
当時の少年らしく直立姿勢をとって立つまだ幼い少年が背負っているのは死んでしまった幼児の弟です。弟を焼く順番をじっと待っています。恐らく原爆で両親も失い、そしてたった一人の弟も死んでしまい、じっと悲しみに耐えている姿でしょうか。その後、この少年はどうなったのでしょう。彼自身、生き残れたのでしょうか。

▼占領軍の任務を帯びて、原爆の破壊の様子を記録するために長崎に入ったオダネルは、軍の命令に背き、密かに、30枚の写真を撮影していたのです。その一枚がこの少年の映像。オダネルの行動はアメリカ人の逆鱗に触れます。でも、彼はその地獄絵図を見て、良心の呵責に耐え切れなかったようです。彼の反戦、反原爆活動の始まりでした。

※(因みに、この映像は「ウィンザー通信」という「アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師」のブログから借りたものです。)

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