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不登校セミナーの相談ブースで語ったこと

▼10月13日(土)の「保護者や教員のための不登校セミナー」第2部の午後のフリースクール担当の教育相談(不登校相談)ブースのある6Fのフロアーに相談に来られた保護者の数は昨年度よりは明らかに多かった。保護者の間でも徒に子どもに学校復帰を促すよりは、それ以外の選択肢も検討してみよう…そういう静かな変化が起きているのかなという印象も持った(1Fの教育委員会のブースへの相談者の様子を聞かなければ断定的なことは言えないが)。

▼相談に訪れたのは、ほとんどはその親御さん。母親だけでなく夫婦で来られる割合が高いのは近年の特徴だ。不登校になって苦しんでいるのは当人には違いないが、時として保護者の方が当人以上に戸惑い動揺している
 保護者として自分の子育ての責任を問われていると思い込む人は多い。だから、変な話だが、WISC-Ⅳ等の検査で子どものIQの数値が分かったり、生得的な発達障害らしいデータが出されたりすると、必ずしも自分の子育てのせいではないのだと逆に安心される方も中にはいる。
 これだけを見ても、不登校となった子どもの話だけに焦点を合わせればいいという単純な話ではないし、従来的な子育て論で一方的に親の育児法を俎上に載せればいいということにもならない。

▼そこで、個別な事例についてはそれに即応した応答や示唆を行ったが、全体的な「親の気付き、大人の気付き」に関連することにおいては、ある一定の物の見方・考え方を提示した。
 一つは、義務教育制度が日本だけでなくどの国においても無償で行われていることの意味についての説明。その義務教育によってその国を再生産させる人づくりが行われていること。だから、「義務教育は学問以前の人としての基礎基本、人づくりの土台づくりの営み」であること。将来その人がより研鑽を積み、高い建物を建てることもそれによって可能になると。
 なのに実際には、先進国の仲間と言いながら、日本の場合、不登校となって学校を離れた子どもには国の教育公費の一切の支援はなくなり、教育棄民の状態に放置され、経済難民の予備軍さえ生み出す状態にあると

▼具体的に、すぐできる方法として提示したのは、既にこのブログでも紹介している二つのもの。「究極の不登校、アインシュタイン」「人生に迷った時の言葉」の二つ。
 その意味については、大体このように説明した。
 ・不登校になれば、自分を不登校に追い込んだ原因や環境、言い換えれば「風景」を変えたいと思う。でも、幾らそう願っても自分を取り巻く風景は変わらない。では、どうするか?相手を変えようとするのではなく自分で動くことだ。自分を取り巻く風景を変えたければ自ら行動することだ。そうすれば、あれほど変わることを願っても変わらなかった風景は嘘のようにあっけなく変わる。「猫に鈴を!」と願っても誰も鈴をつける行動をしなければ事態は変わらない。自転車に乗りたければ、自らトレーニングして体得することだと。
 ・しかし、物には幾ら自分が願っても、自分が行動しても容易に変わらぬ場合もある。そこに厳然と「あるという事実」は変えようがない。事実は事実だ。しかし、物には見方、捉え方というものがある。たとえば、このペットボトル。水が半分入っている。これをどう見るか。「なんだ、半分しか入ってないじゃないか」と見るか「すげえ、まだ半分も水が残っている」」と見るか。水が半分という事実は変わらないが、見方を変えることで今後の姿勢、向き合い方が変わって来る。そして、物事は自分の思ったように動いていくもの
 そのために考えるヒントとして、来訪者にはお渡しした。

▼どんな相談にのろうと、こちらは相談者が考え行動するための手掛かりしか提示できない。行動に誘うことはできるが「行動するのは自分自身」である。これは、どのような場合でも同じこと。不登校の子どもについても言えること。親御さんはその子の代わりになることはできないし、そうすることが本人のためになることは何もないのだと。その子の出来る度合いに応じてその子に行動を促すしかないのだと。
 たとえば、学校を離れてフリースクールにやって来る子の中に、「指示待ち人間」がやたらと多い。学校でつくられた「いい生徒像」だろうか。そして、極端に「失敗を恐れる」。こういう子どもほど学校の中で「期待される人間像」を演じ、逆に自分の中身は空になるのかもしれない。
 ぱいでぃあでは、そういう子ども像を一つずつ壊すことから始める。「“トイレに行くな!”と言えばどうする?」と問い、「少なくとも生理的行動は自分で判断しその旨告げて自分で行動すればいい」とか「どんどん失敗しろ、失敗を恐れるな、失敗から学べ」とけしかける。一方で薄皮一枚一枚剥がすような慎重な対応もまた欠かせない。そこはその子の不登校の事情によってまるで違ってくる。単に「臨床心理士の資格を取りました」レベルで済む事柄ではない。
 実際に、そういう子が通い始めた場合には、「一人ひとり顔も違い、声も違い、背丈も違うように、外側からは見えない心もまた違う」ことを十分に認識しながら、こちらもその子の個性と真摯に真っさらの状態で向き合うことから始めることになる。そんなことを自分の場合は話した。

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「子どものいる風景」から 戦争と子ども達 2015年04月09日

「子どもって何歳までなんでしょう?」という問いかけがあります。でも、日本語で「子ども」って状況により様々。ここでいう子どもとは、一応未成年で、まだ自立できない段階の少年少女というくらいの感覚で捉えています。
でも、この子ども時代の過ごし方、生き方というものがその後の人生に決定的とも言えるほどの影響を与えることになります。「蛙の子は蛙」というだけでなく、自分では選択権のない子どもを取り巻く環境の如何が—その向き合い方を含めて—多大な拘束力を持つことになります。
個人の意志に関係なく、出自とか家系とか帝王学とかが幅を利かすようになるのもそのためです。


▼今回、紹介するのは、日本よりももっと過酷な悲惨な状況の国々に生を受けた子ども達。今の日本には縁遠いかもしれないけれど、これもまたこの地球上で実際に今どこかで起きている出来事なわけです。

確かに今までは遠い対岸のお話でした。しかし、今後、日本は出遅れた船に駆け込む乗客のように、国際社会の一員に仲間入りです。ですから、世界にはこういう現実もあるということをしっかり理解していることが必要になります。

爆撃で生き埋めになった子どもの救出

https://youtu.be/DPUAnsQhEW4

この動画で一つの命を救うためにみんなが協力し合う素晴らしい行動を目の当たりにします。でも、イスラエルのガザへの無差別の爆撃がなければ必要なかったこと。涙なしには見られないこの映像です。
このような状況下で「命が救われただけでも奇跡」という過酷な現実を子どもは生きていくことになります。

 ▼「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて)
<http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/c45f9793732aa7e8116d123f503b3dd9>

皇后陛下が彼とその写真について触れられてから一般に知られるようになったようです。長崎への原爆投下後、報道写真家・ジョー・オダネルが撮影したものです。
当時の少年らしく直立姿勢をとって立つまだ幼い少年が背負っているのは死んでしまった幼児の弟です。弟を焼く順番をじっと待っています。恐らく原爆で両親も失い、そしてたった一人の弟も死んでしまい、じっと悲しみに耐えている姿でしょうか。その後、この少年はどうなったのでしょう。彼自身、生き残れたのでしょうか。

▼占領軍の任務を帯びて、原爆の破壊の様子を記録するために長崎に入ったオダネルは、軍の命令に背き、密かに、30枚の写真を撮影していたのです。その一枚がこの少年の映像。オダネルの行動はアメリカ人の逆鱗に触れます。でも、彼はその地獄絵図を見て、良心の呵責に耐え切れなかったようです。彼の反戦、反原爆活動の始まりでした。

※(因みに、この映像は「ウィンザー通信」という「アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師」のブログから借りたものです。)

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