▼結論から入ろう。ずばり「精神病という病は存在するのか?」というテーマだ。ある精神科医が大人の重い精神疾患の患者に、本来は18歳未満の「発達障害」の子どもに投与されるADHD(注意欠陥多動性障害)の治療薬を投与したところ、劇的な改善効果があったというのである。
ご存知だと思うが、ADHDはこどもの発達障害の一つ。もう20年以上前から児童精神科医や児童心理学、教育界でも注目されてきた。
(奇妙なことに、「発達障害」という用語もまた「発達障害支援法」という法律が施行された後に急増した。)
(従来、「ADHDは子ども特有のもので成長とともに治る」とされてきたが、実際には思春期、青年期、成人期、老人期まで続くケースもあると言われ、「大人の発達障害」も注目されている)
▼この精神科医が考えたことは、「抗ADHD薬を使用すると、統合失調症のように重い精神疾患が改善する」—「同じ薬で治るならば、もともと同じ病気なのではないか?」という疑問である。それまで重い精神疾患と思っていたものがほぼ全てADHDやその他の発達障害の症状として説明できる!
▼「発達障害」と「感覚異常」はもともと同根のものかもしれない。また統合失調症の精神異常もこの感覚異常に基づくようだ。だから、それは病気とするよりも「クセ」「特性」と見るべきだと。そして、「正常」と「異常」の境界は曖昧であり、濃淡の違いに過ぎないと。著者は結論として、「精神病が存在しなくなる日は近い」と言っている。
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▼なぜ、このブログで単なる読後の感想ではなく、「精神病の正体とは何か?」という問いを立てたかと言うと、現在、不登校となって学校を離れる子どもが19万人に上り史上最高と言われながら、一方では「子どもの発達障害」という文言が必要以上に喧伝され、そういう施設の増強と共にそう認定される子ども達も増えているからである。
少子化が叫ばれ、子どもの育ちそのものに問題は生じていないとも言われているのにである。
▼そしてまた、「教育現場では不登校となれば即、子どもの問題と認定して、教員も保護者も精神科医での診断を促すという風潮も顕著」である(文科省は「不登校は病気ではない。誰にでも起こり得る」と言っていなかっただろうか?)。
かつて、1900年代に不登校が年ごとに増加する中で、教育界では「不登校は子どもの問題である。特に情緒障害が問題」というのが定説となっており、不登校の子どもを問題児として隔離する教育施策が主流だった。それが今、「不登校=発達障害」というレッテルを張って隔離しようとしている流れのように見える。
また、逆に他方では、そういう風潮に異議を唱える保護者達が、「ギフテッド商法」とでも言うべき教育ビジネスのトラップにかかる悩ましい現象も起きている。
▼結局、何が問題なのか?くだんの精神科医は直接触れてはいないが、「もし、精神病のほとんどが“つくられた心の病”であるならば、それはもともはADHDのような子どもの発達障害であったものが二次障害によってこじらされ精神病になってしまったのではないか?発達障害そのものが問題なのではない。それによって将来の精神病患者が日々学校教育の中で生産されつつある、それが問題なのだ。」と自分は思う。
そして、それは単に不登校になった子どもたちの問題ではなく、学校に通いながらそういう空気を日常的に吸い続け、問題をも問題とも考えない感性を“社会性”と勘違いしている子ども達、将来の大人たちをつくっていくことである。
世界のOECDの先進国の中で日本の若者の将来への認識は飛びぬけて低い。社会を担う一員としての認識も低い。
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▼「精神病」の概念の成立は1800年代になってから。ドイツのクレペリンが精神病を「統合失調症」と「双極性障害」(躁鬱病)とに二分し、現在の精神医療の基礎をつくったという。
だが、精神科医はいまだに的確に、科学的に[「精神病とはなにか」を説明できていないし、完治させることもできていない。つまりは、精神病の判定には「普遍性」も「再現性」も「客観性」もないのだ。
▼ただし、精神医療にもヒューマニズムの台頭があり、20世紀になってから本格的な治療法も開発された。そういう中で欧米では、薬での改善が見られたら退院させ、作業療法や生活指導など社会参加を目指すものだった。「精神疾患は不治の病ではなく、適切な支援があれば社会の一員として暮らしていける」というものだった。
ところが、日本の精神医療では管理、社会隔離の考えが優勢された。
▼その過程で、かつての結核病棟は精神病棟にとって代わり、精神病棟は患者の社会参加どころか「社会的入院」の場になり、精神病患者の「終の棲家」となっていった。
日本の精神病床数は欧米の約3倍、全世界の精神病床数の5分の1が日本にあるという。統合失調症だけで年間17万人以上が入院させられているという。
これがなぜいけないか。それは隔離することによって苦手な生活のスキルを低下させ、ますます社会参加を困難にするからである。
▼これは重要な点だが、「心の病」は精神病の治療薬の開発に合わせて作り出された側面がある。例えば、SSRI。この薬の発売によってその病気の患者が倍増した。また、いまなお多剤投与の問題もある。
そして、精神科医は薬で身体的反応への対症療法はするけれども、患者の「精神状況=心」をきちんと説明できる医者はほとんどいないのだ。
※これは書評ではありません。自分に関心のある所を拾い読みしたものです。
書物はこれです。
【精神病の正体って何?】