▼2019年5月1日から元号が「平成」から「令和」に変わった。この変更については同時代的な進行で報じられてきたから敢えてここで繰り返さない。それより、ここで問題にしたいのは「日本国憲法」との親疎の距離の問題である。「象徴天皇制」の問題も今回の元号の呼称変更の問題も全ては「日本国憲法」の規定の範疇で行われた。日本人であり、日本に住む限り、一部の例外を除いて日本国憲法の定めによる。
▼今月の5月3日は「憲法記念日」であった。ところが、近年、特に安倍政権になってから日本国憲法を祝うことに積極的でない。安倍首相自身、1212年に自民党総裁としての立場から「いじましい、みっともない憲法ですよ」と発言している。
言葉は物を評価すると同時に逆に、発言者の品性や知能さえも照らし出す。「日本国憲法第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」とあるにもかかわらずである。
▼他からの情報では、安倍首相は「既に自衛隊を新憲法に明記して選挙を戦い、勝った」のだと言っているとか。ネットの各所から「そんなことはやっていない」という反論が上がっている。とにかく、日本国憲法の規定に従って行動しているはずの政治家の主導で(国民の過半数以上改憲を望んでいないとデータで明らか)改憲論議が進むのは異常である。
「みっともない憲法」と言うが、残念ながら日本国憲法が広く国民生活の中に浸透し生活や職場で十分に活かされたかと言うとはなはだ疑問だ。
▼振り返ってみると、戦後まもなく『新しい憲法のはなし』という小冊子が文部省から発行され、学校に配られた。そこには明治憲法により国を破綻させた反省から国民主権の新憲法に対する国を挙げての初々しい希望が感じられた。その同じ日本政府が今は国民をその渦に巻き込むように改憲論議を盛んにぶち上げる。
果たして、日本国憲法に問題があったのだろうか。それとも政治家が変わったのか。それとも日本をそう導こうとする外国勢力があるのだろうか?
▼残念ながら、学校教育の現場でも日本国憲法の精神が浸透しているとは思えない。単なる平和主義の符丁のようにも見える。もしその精神が広く活かされているなら、これほど学校に行きたがらない子どもたちや不登校の子どもたちが排出することはなかったのではないか?不登校の子どもたちはこの少子化の中でも年々増加している。異常事態だ。教育の危機である。新教育基本法も含めて、再度検証してみる必要がありそうだ。
◎マスコミの報道によると、10連休と騒がれているのに、「憲法記念日」も「子どもの日」も「知らない」と答えた人が多かったようだ。だが、その一方で、 憲法集会には 昨年よりも多くの参加者があったという報告もある。
改憲論議の盛んな今だからこそ、改めて日本国憲法を熟読する契機としたいものだ。
5月6日からまた、フリースクール・ぱいでぃあも稼働する。日本国憲法を体得した子どもを応援したいと思う。
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