月別アーカイブ: 2015年6月

NPO法人とは何か —- 教育NPOと最近の動きから 2015年6月14日

ブログ:「子どもネット」から  2015年6月14日

 — 子どもの心と命のために — 子どもの学びと育ちと人権と — ◆ 

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▼ 「NPO法人は特定の政治活動や宗教活動を行ってはいけない」という決まりがある。また、NPOはNon-Profit Organizationの名の通り、公益性を追求し企業のような利益をあげることを目的としてはならないとされている。そして、NPO法人として活動す るためには」、法律に定められた書類を添付した申請書を所轄庁に提出し、設立の認証を受けなければならないとされています。

▼ しかし、これはあまり額面通りに捉えない方がいいかもしれません。組織や団体を運営し人を使う以上、無償(つなりタダ)で行うわけには行きません。少なく とも組織・団体を維持するための経費は自分で生み出すしかありません。中には全く助成金目当ての団体もあるようですが、続けることは難しいでしょう。ただ し、それは必要にして最小限の事柄であり、中心はあくまでも市民団体としての活動、公益性のある事業での活動となるようです。

▼市民活動の 本来の趣旨は行政や民間の企業がなかなか行えない活動を行うこと。そして、その大きな目的として、行政が本当に市民のためになる活動を行っているかどうか をチェックする役割もあったはずです。しかし、1998年12月に出来た特定非営利活動促進法では法人格を取得する際に行政機関の許可が必要であり、法人 格取得後も主務官庁による指導を受けることになっています。民間企業をお客とする税理士でもびっくりの縛りがあります。
つまり、本来行政を監視する役割のある市民団体が、NPO法では逆に行政による事業の許可を得なければならないわけです。
これを甘受すれば、行政を監視するどころか、民間企業では事業化は採算が合わず難しいし、行政でも税金を投入してやるわけにもいかない…そういう種類の仕 事をNPOに下請けで流し、NPOはボランティア並みの料金で安請け合いする、それがNPO法人の仕事って言ったらまちがいだろうか?

▼だからだろうか、前から市民感覚の冴えた仕事をしていた団体がNPO法が出来てからも頑としてNPO法人になることを拒否して現在まで活動している。その姿 勢には脱帽だ。しかし、その団体が年々縮小しつつあるのが気に掛かる。残念ながらそういう姿勢を一般の市民に理解を求めることはとても難しい。「行政に認 可された安心安全な市民団体がNPO法人」などというびっくり仰天のありえな~い現実があるからである。

▼格差を伴った今の構造的な社会不況は容易に改善されないまい。前途はますます厳しい。NPOの中でも、厚生労働省関係の仕事ならまだ助成の対象になる事業もあろうが、教育関連の仕事は許認可を文科省が一手に引き受けているからさらに難しい。
特にフリースクールの運営事業は学校外教育ということで今までもほとんど蚊帳の外に置かれてきた。ところが、今、安倍政権になってから下村文科相率いる文 科省の動きに今までにないものがある。点数稼ぎなのか?日教組潰しの一環なのか?どこまで本気なのか?今、フリースクールや夜間中学に対して文科省や地域 の教育委員会で認可して税金で補助しようろいう動きがある。今までは頑として突き放してきたのに、とても奇妙な動きである。

このことはまた追って報告したい。
(続く)

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試行錯誤の末にエイヤッとの思いで…

▼自分の年頃でネットをやっている人はあまり多くない。高校の同期会などでかつての仲間とあっても、電話等の連絡用には使いこなしてはいても、まだまだ新聞ラジオ派であって、情報収集の手段として使っているのは、新聞社とか役所とかやむを得ず使わざるを得ない仕事や職場であって、それを離れて使いこなす人は少ない。常時使っているのは自身がメルマガを主宰者だとかサイトを立ち上げているとかの一部の人に過ぎない。
だから、SNS全盛の時代とはいえ、facebookやtwitterをやっている人は皆無に近い。そんな話をすると、どこか異邦人を眺めるような眼差しで見られる。だから、基本的に我々の世代はパソコンやスマホに疎く、必然的に情報弱者になっている。

▼だから、さあ~自分で操作に行き詰まった時は大変である。同世代はまるであてにならないからもっと若い世代、大方が20代の若者の登場である。
私達が電化製品の発達に追いかけられながら歩んできた世代とするならば、20代の若者はそういう環境に生まれながらにして浸かっていた世代である。だから、こちらが四苦八苦長時間悩むところを立ち所に解決してくれる。実にはやい!で、時々苦言を呈される。「何でこんな馬鹿な設定にしているの!全部消して!」と。調べ物でもそう。こちらは疑問を持ったらまず自分の頭で考えて、それで分からないとことはいろいろな本や雑誌等に当たるなど時間をかけて何とか見つけ出す。ところが、彼等若い連中はその場でスマホで検索する。そして立ち所に最適な答えを見出す。
もう老人の知恵も知識も必要ないかのようだ。「パソコンで日本語が打てる!」と感動した世代だが、今世の中はもの凄い加速度で動いているように自分には見える。

▼そんなわけで、昔Basic、それからHtml、今Wordpressと来ているが、何せ分からないことだらけ。パソコン等は正式に勉強したことがなく全くの我流であるから、しばしば壁に突き当たる。出口なしの状態に陥る。それでも、我流の人間はあまりマニュアル本を見ない。その結果、見る人が見れば「信じられな~い!」という迷路に迷い込んでいることもしばしば起きる。たとえば、ウイルスソフトを3つも入れているとか…。
でも、最近は少しばかり利口になったかな。ネットで不具合の原因を調べたり、◯◯情報を検索したりするようになってきた。さて、今回もWordpressで「404エラー」が頻繁に起きてこまった。が、どこにも書いてない!漸くこれかな?というものを見つけた。うまくいくかどうか…。まだまだボケているわけにはいかないな。

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担任の児童いじめ & 「不登校バスターズ」の結成

ブログ:子どもネットから

 — 子どもの心と命のために — 子どもの学びと育ちと人権と — 

◆最近の教育ニュースから:「50代担任、児童をいじめ」 
◆『不登校バスターズ』結成のお知らせ

「50代担任、児童をいじめ 体かく動作をまねてからかう」:朝日新聞デジタル(2015年6月12日)からの情報である。
福島県郡山市の50代の先生が、児童(小学校高学年)の身体をかく真似をしたり、からかいの言葉をかけたりしていじめていたらしい。昨春から今年3月までというから結構長い。小学校は学級担任がクラス全体を管理し、価値付け、支配する。生徒は学校にいる間、学業や振る舞い、価値評価に至るまで担任が一括管理する「学級王国」の中で過ごさねばならない。特に小学低学年、中学年の子どもは先生に好かれているか否か—-それがその子の学校での命運を左右することにもなる。もし、その子が一年間も尊厳を踏みにじられ、からかいの種にされるような環境の中に置かれていたならば、一体どうなるか。場合によっては、その子は自分に自信を持てなくなるばかりか自己卑下の塊となり、
トラウマ(PTSD)状態になってしまいかねない。場合によっては、その子の将来をも閉ざすことにもなってしまう。

小学校の「学級王国」という特殊な空間は、担任の意図に関わりなくそういう状況になりがちだ。学級担任は余程の注意を払う必要がある。ところが、この50過ぎの担任は、児童を言葉でいじめたり 身体をかく動作をまねてからかうなど、生徒への思いやりや想像力がまったく欠如している。指摘されてから「児童が嫌だと思っていることがわかったので謝罪した」とか「(体のことを)知っていればやらなかった」とか、論外の弁明である。
これでは小学校教師としての最低限の条件をも満たしていない。逆に同級生の女子生徒の方がストレスになり、カウンセリングさえ受ける状態になっていたという。この歳になるまで、この先生はあり得ない教師感覚で生徒に接してきていたのかと思うと空恐ろしい。先生による悪質ないじめが発覚して、これ以上犠牲者が増えなくなって良かった言うべきか。

▼知らない親御さんは、こういう担任のいじめは例外的なもので、あまり大袈裟に考えることではないと思われるかもしれない。実際はどうか。意外なほど多いのである。ただし、今回のように公になることはあまりない。「恥の文化」が悪く作用しているのか。被害者が上司をパワハラで訴えることは日本社会ではあまりないが、学校ではもっと少ないだろう(それに、いじめている側にはいじめているという意識は希薄である)。それを端的に示しているのが私達のようなフリースクールにやってくる「不登校の子ども達の存在」である。

不登校の子ども達がなぜ生まれるのか?「炭鉱のカナリヤ」という言葉がある。炭鉱夫が炭鉱のトンネルに入るときにカナリヤを連れて行く。坑内で異常ガスが発生していても人間はなかなか気付かない。カナリヤが先に死ぬ。それで人は危ないと判断し退避する。不登校となって学校を離れた子ども達は、まさに本能によって危険を察し、学校という場を離れた子ども達なのだ。だから、その不登校の子ども達の背後には必ず「離れざるを得なかった事情」がある。端的に言って、不登校の子ども達はみないじめや暴力の被害者である。だから、「不登校は学校教育のカナリヤである」と言ってよかろう。ひと時、「いじめは増えているけれども、不登校は減っている」と言われたが、真っ赤なウソである。
不登校の陰に必ずいじめがある。各学校で不登校の数を巧妙に操作し、実数をぼかしている。最近のデータで「また不登校が増えた」となっているが、大阪で体罰での自殺者が出てから、文科省が教育委員会等から統計で上がってくるデータを洗い直した結果である。実数が急に増えたわけではない。統計のやり方がちょっと変わっただけである。不登校の実数はその2倍も3倍もあるのではないかとも言われるが、あながち風評ではないのかもしれない。

本来、「子どもが主人公」であるはずの学校で、「ここは自分が生かされる場所ではない」と危険を察し、学校に行けなくなったり行くことを拒否する子ども達が、小学校中学校だけでも全国で12万人を超えている。ピーク時は13万人と言われ多少減ったような印象だが、おそらく実数はほとんど変わりがないのではないか。
私達は、1995年に不登校専門の月刊教育雑誌『ニコラ』を創刊し、以来一貫して不登校問題に関わってきたが(教育行政や大学等で不登校研究が始まったのはそれから後のことである)、教育の内実は本質的に何も変わらず、不登校問題も一向に収束していない。奇妙な形で不登校問題が社会的に認知されるようになったことで、逆に解決困難になったケースも多い。「不登校は解決するものではなく、放置するものになった」きらいさえある。その結果、社会的ひきこもりやニートと言われる人達が異常に増えることになった

▼「不登校を克服し解決するためにはどうしたらいいか?!」— これが再び論じられなければならない。教育行政は学校で教育を受けている子ども達のものであるから、不登校の子ども達のためにはほとんど動かない。最近、文科省でフリースクール等の民間教育団体への実態調査などの動きがあるが、文科省への圧力利権団体である学校外教育業者への便宜を図ったものにしか見えない不登校となって困っている本人やその家庭への直接の恩恵は何もない本人や家庭への学習権や教育権の保証はどこにも明記されていない。「不登校になった本人や家庭への教育バウチャー」一つ実現していない。それなのに、バラバラに分断された不登校本人やその家庭の保護者たちは、ただ泣き寝入りするだけで一向に団結して動こうとはしない。
改めて『不登校バスターズ』が必要ではないか?不登校問題の告発&撲滅隊である。かつて『いじめバスターズ』というのがあった。不登校問題も、真剣に向き合おうとするならば、バラバラに分断されている状態では不可能である。一人でも解決は難しい。
改めて、今まで子どものいる現場から問題を提起してきた「不登校専門の月刊教育雑誌『ニコラ』の活動」と「フリースクールでの子ども支援の実践活動」の統合として、『不登校バスターズ』を結成する。対象は、不登校の子ども達本人とその保護者、不登校専門の支援者、一般の教育関係者、多様な分野の教育問題に関心のある市民などである。
詳細は追ってお知らせしたい。

(続く)

 

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「子どもネット」から:活動内容などのお知らせ~

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◆最近の教育ニュースから:「50代担任、児童をいじめ」 
◆『不登校バスターズ』結成のお知らせ

「50代担任、児童をいじめ 体かく動作をまねてからかう」:朝日新聞デジタル(2015年6月12日)からの情報である。
福島県郡山市の50代の先生が、児童(小学校高学年)の身体をかく真似をしたり、からかいの言葉をかけたりしていじめていたらしい。昨春から今年3月までというから結構長い。小学校は学級担任がクラス全体を管理し、価値付け、支配する。生徒は学校にいる間、学業や振る舞い、価値評価に至るまで担任が一括管理する「学級王国」の中で過ごさねばならない。特に小学低学年、中学年の子どもは先生に好かれているか否か—-それがその子の学校での命運を左右することにもなる。もし、その子が一年間も尊厳を踏みにじられ、からかいの種にされるような環境の中に置かれていたならば、一体どうなるか。場合によっては、その子は自分に自信を持てなくなるばかりか自己卑下の塊となり、
トラウマ(PTSD)状態になってしまいかねない。場合によっては、その子の将来をも閉ざすことにもなってしまう。

小学校の「学級王国」という特殊な空間は、担任の意図に関わりなくそういう状況になりがちだ。学級担任は余程の注意を払う必要がある。ところが、この50過ぎの担任は、児童を言葉でいじめたり 身体をかく動作をまねてからかうなど、生徒への思いやりや想像力がまったく欠如している。指摘されてから「児童が嫌だと思っていることがわかったので謝罪した」とか「(体のことを)知っていればやらなかった」とか、論外の弁明である。
これでは小学校教師としての最低限の条件をも満たしていない。逆に同級生の女子生徒の方がストレスになり、カウンセリングさえ受ける状態になっていたという。この歳になるまで、この先生はあり得ない教師感覚で生徒に接してきていたのかと思うと空恐ろしい。先生による悪質ないじめが発覚して、これ以上犠牲者が増えなくなって良かった言うべきか。

▼知らない親御さんは、こういう担任のいじめは例外的なもので、あまり大袈裟に考えることではないと思われるかもしれない。実際はどうか。意外なほど多いのである。ただし、今回のように公になることはあまりない。「恥の文化」が悪く作用しているのか。被害者が上司をパワハラで訴えることは日本社会ではあまりないが、学校ではもっと少ないだろう(それに、いじめている側にはいじめているという意識は希薄である)。それを端的に示しているのが私達のようなフリースクールにやってくる「不登校の子ども達の存在」である。

不登校の子ども達がなぜ生まれるのか?「炭鉱のカナリヤ」という言葉がある。炭鉱夫が炭鉱のトンネルに入るときにカナリヤを連れて行く。坑内で異常ガスが発生していても人間はなかなか気付かない。カナリヤが先に死ぬ。それで人は危ないと判断し退避する。不登校となって学校を離れた子ども達は、まさに本能によって危険を察し、学校という場を離れた子ども達なのだ。だから、その不登校の子ども達の背後には必ず「離れざるを得なかった事情」がある。端的に言って、不登校の子ども達はみないじめや暴力の被害者である。だから、「不登校は学校教育のカナリヤである」と言ってよかろう。ひと時、「いじめは増えているけれども、不登校は減っている」と言われたが、真っ赤なウソである。
不登校の陰に必ずいじめがある。各学校で不登校の数を巧妙に操作し、実数をぼかしている。最近のデータで「また不登校が増えた」となっているが、大阪で体罰での自殺者が出てから、文科省が教育委員会等から統計で上がってくるデータを洗い直した結果である。実数が急に増えたわけではない。統計のやり方がちょっと変わっただけである。不登校の実数はその2倍も3倍もあるのではないかとも言われるが、あながち風評ではないのかもしれない。

本来、「子どもが主人公」であるはずの学校で、「ここは自分が生かされる場所ではない」と危険を察し、学校に行けなくなったり行くことを拒否する子ども達が、小学校中学校だけでも全国で12万人を超えている。ピーク時は13万人と言われ多少減ったような印象だが、おそらく実数はほとんど変わりがないのではないか。
私達は、1995年に不登校専門の月刊教育雑誌『ニコラ』を創刊し、以来一貫して不登校問題に関わってきたが(教育行政や大学等で不登校研究が始まったのはそれから後のことである)、教育の内実は本質的に何も変わらず、不登校問題も一向に収束していない。奇妙な形で不登校問題が社会的に認知されるようになったことで、逆に解決困難になったケースも多い。「不登校は解決するものではなく、放置するものになった」きらいさえある。その結果、社会的ひきこもりやニートと言われる人達が異常に増えることになった

▼「不登校を克服し解決するためにはどうしたらいいか?!」— これが再び論じられなければならない。教育行政は学校で教育を受けている子ども達のものであるから、不登校の子ども達のためにはほとんど動かない。最近、文科省でフリースクール等の民間教育団体への実態調査などの動きがあるが、文科省への圧力利権団体である学校外教育業者への便宜を図ったものにしか見えない不登校となって困っている本人やその家庭への直接の恩恵は何もない本人や家庭への学習権や教育権の保証はどこにも明記されていない。「不登校になった本人や家庭への教育バウチャー」一つ実現していない。それなのに、バラバラに分断された不登校本人やその家庭の保護者たちは、ただ泣き寝入りするだけで一向に団結して動こうとはしない。
改めて『不登校バスターズ』が必要ではないか?不登校問題の告発&撲滅隊である。かつて『いじめバスターズ』というのがあった。不登校問題も、真剣に向き合おうとするならば、バラバラに分断されている状態では不可能である。一人でも解決は難しい。
改めて、今まで子どものいる現場から問題を提起してきた「不登校専門の月刊教育雑誌『ニコラ』の活動」と「フリースクールでの子ども支援の実践活動」の統合として、『不登校バスターズ』を結成する。対象は、不登校の子ども達本人とその保護者、不登校専門の支援者、一般の教育関係者、多様な分野の教育問題に関心のある市民などである。
詳細は追ってお知らせしたい。

(続く)

 

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不登校の子どもと親御さんと支援機関の関わり方と—-(1)

▼不登校支援の初期の頃にははっきり見えなかったものが、15年、20年と関わってくるとそこから自ずと見えてくるものがある。そして、不登校の子どもの動態もその支援の仕方もそれにつれて少しずつ変わってきた。
それでは、学校教育の中で不登校への理解が進み、不登校支援の方法にも進展があったのかと言えば、必ずしもそうとは言えない。だんだんと複雑化してきたと言った方がいいかもしれない。

▼逆に、事態が深刻化して不登校からの立ち直りが容易ではなくなったということも起きてきている。特に近年、経済格差が教育格差に連動し(この傾向は今に始まったことではない。フリースクール運営の当初から明らかであったが)、もやは努力すれば報われるという「三丁目の夕日」的な、ジャパニーズ・ドリームを象徴した牧歌的な風景はどこにもなくなってしまった。