月別アーカイブ: 2018年10月

不登校セミナーの相談ブースで語ったこと

▼10月13日(土)の「保護者や教員のための不登校セミナー」第2部の午後のフリースクール担当の教育相談(不登校相談)ブースのある6Fのフロアーに相談に来られた保護者の数は昨年度よりは明らかに多かった。保護者の間でも徒に子どもに学校復帰を促すよりは、それ以外の選択肢も検討してみよう…そういう静かな変化が起きているのかなという印象も持った(1Fの教育委員会のブースへの相談者の様子を聞かなければ断定的なことは言えないが)。

▼相談に訪れたのは、ほとんどはその親御さん。母親だけでなく夫婦で来られる割合が高いのは近年の特徴だ。不登校になって苦しんでいるのは当人には違いないが、時として保護者の方が当人以上に戸惑い動揺している
 保護者として自分の子育ての責任を問われていると思い込む人は多い。だから、変な話だが、WISC-Ⅳ等の検査で子どものIQの数値が分かったり、生得的な発達障害らしいデータが出されたりすると、必ずしも自分の子育てのせいではないのだと逆に安心される方も中にはいる。
 これだけを見ても、不登校となった子どもの話だけに焦点を合わせればいいという単純な話ではないし、従来的な子育て論で一方的に親の育児法を俎上に載せればいいということにもならない。

▼そこで、個別な事例についてはそれに即応した応答や示唆を行ったが、全体的な「親の気付き、大人の気付き」に関連することにおいては、ある一定の物の見方・考え方を提示した。
 一つは、義務教育制度が日本だけでなくどの国においても無償で行われていることの意味についての説明。その義務教育によってその国を再生産させる人づくりが行われていること。だから、「義務教育は学問以前の人としての基礎基本、人づくりの土台づくりの営み」であること。将来その人がより研鑽を積み、高い建物を建てることもそれによって可能になると。
 なのに実際には、先進国の仲間と言いながら、日本の場合、不登校となって学校を離れた子どもには国の教育公費の一切の支援はなくなり、教育棄民の状態に放置され、経済難民の予備軍さえ生み出す状態にあると

▼具体的に、すぐできる方法として提示したのは、既にこのブログでも紹介している二つのもの。「究極の不登校、アインシュタイン」「人生に迷った時の言葉」の二つ。
 その意味については、大体このように説明した。
 ・不登校になれば、自分を不登校に追い込んだ原因や環境、言い換えれば「風景」を変えたいと思う。でも、幾らそう願っても自分を取り巻く風景は変わらない。では、どうするか?相手を変えようとするのではなく自分で動くことだ。自分を取り巻く風景を変えたければ自ら行動することだ。そうすれば、あれほど変わることを願っても変わらなかった風景は嘘のようにあっけなく変わる。「猫に鈴を!」と願っても誰も鈴をつける行動をしなければ事態は変わらない。自転車に乗りたければ、自らトレーニングして体得することだと。
 ・しかし、物には幾ら自分が願っても、自分が行動しても容易に変わらぬ場合もある。そこに厳然と「あるという事実」は変えようがない。事実は事実だ。しかし、物には見方、捉え方というものがある。たとえば、このペットボトル。水が半分入っている。これをどう見るか。「なんだ、半分しか入ってないじゃないか」と見るか「すげえ、まだ半分も水が残っている」」と見るか。水が半分という事実は変わらないが、見方を変えることで今後の姿勢、向き合い方が変わって来る。そして、物事は自分の思ったように動いていくもの
 そのために考えるヒントとして、来訪者にはお渡しした。

▼どんな相談にのろうと、こちらは相談者が考え行動するための手掛かりしか提示できない。行動に誘うことはできるが「行動するのは自分自身」である。これは、どのような場合でも同じこと。不登校の子どもについても言えること。親御さんはその子の代わりになることはできないし、そうすることが本人のためになることは何もないのだと。その子の出来る度合いに応じてその子に行動を促すしかないのだと。
 たとえば、学校を離れてフリースクールにやって来る子の中に、「指示待ち人間」がやたらと多い。学校でつくられた「いい生徒像」だろうか。そして、極端に「失敗を恐れる」。こういう子どもほど学校の中で「期待される人間像」を演じ、逆に自分の中身は空になるのかもしれない。
 ぱいでぃあでは、そういう子ども像を一つずつ壊すことから始める。「“トイレに行くな!”と言えばどうする?」と問い、「少なくとも生理的行動は自分で判断しその旨告げて自分で行動すればいい」とか「どんどん失敗しろ、失敗を恐れるな、失敗から学べ」とけしかける。一方で薄皮一枚一枚剥がすような慎重な対応もまた欠かせない。そこはその子の不登校の事情によってまるで違ってくる。単に「臨床心理士の資格を取りました」レベルで済む事柄ではない。
 実際に、そういう子が通い始めた場合には、「一人ひとり顔も違い、声も違い、背丈も違うように、外側からは見えない心もまた違う」ことを十分に認識しながら、こちらもその子の個性と真摯に真っさらの状態で向き合うことから始めることになる。そんなことを自分の場合は話した。

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秋の「不登校セミナー」の講演から思ったこと

▼近年、埼玉県教育委員会と不登校児童生徒支援の官民連携会議との間で進められてきた「保護者や教員のための不登校セミナー」の第2回が、さいたま市民会館うらわにおいて開催された。 午前の部は埼玉大学教育学部教授・馬場久志氏による講演「不登校についてともに考える」、午後の部は各フロアー各ブースに於いてフリースクール、不登校支援の高等学校やサポート校、技能連携校など、親の会、不登校からでも進学が可能な県立高校などによる個別相談会・情報提供が行われた。

▼不登校の捉え方については、教育行政側と民間側とでは立場上かなりの開きがある。当然、問題の捉え方の違いもある。
 そういう中で、馬場教授の講演は行われたが、それは今までいろいろな人たちがテーマとしてきた現場での関わり方に無原則に立つものでも、また一方的に教育行政側の立場に忖度するものでもなかった。不登校が日本の社会で大きな問題として取り上げられるようになったその過程やその対応の仕方を教育学的な視点から振り返り、今に至る親や教師等の教育関係者に今まで持続してきた固定的な価値観や物の見方に再考を迫り、等しく気づきを促するものであったと言える。
 つまりは、今日の社会の歪みや大人の教育観の歪みなど、ともすると我々が子どものために「よかれ」とやって来た様々な方策に対し、それを評価する一方、「でも、子どもたちは~」と子どもの視点から逆照射するものでもあったと言える。だから、不登校論そのものは極めてオーソドックスなものではあったが、次の行動へと大人を促す説得力を持つものであったと言えようか。

▼不登校に対する最近の動向として、教育行政が「学校復帰」を促すことへの疑問、不登校の子どもを「病気」と決め付けないこと(一方には「発達障害」の増加、親や教育関係者が医療に依存しがちな傾向もあるのだが)、過去の功罪を含めて民間教育の取り組みを積極的に評価する等さまざまあるが、馬場教授は講演の中で、不登校の始まりは「子どもにとっては最後の意思表示である」こと、「学校復帰だけが不登校の解決ではない」こと、「民間からの協力を得る」ことの必要性、子どもが「安心して生きる権利」を主張できる「自由な時間・空間を保証する」ことの大切さ等を説き、フリースクールなど「学校外の学び場」の役割を説いた意義は大きかろうと思う。馬場教授が言うように、「徐々に、本当に少しずつ」の変化ではあるが、不登校(「不登校は問題行動ではない」!)への見方が確実に変化しつつあることを確認した講演でもあった。

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究極の不登校、アインシュタインの言葉から

🔶ご存知、理論物理学の超有名人、アルベルト・アインシュタイン。でも、彼が「特殊相対性理論」「一般相対性理論」等の研究でノーベル賞を取ったこと以外、どんな人だったかは意外に詳しくは知られていません。  彼もまた「学校嫌い」の「不登校生」であったことも。いやいや、彼が不登校生であったことと後年彼がノーベル賞を受賞する偉大な業績を残したこととは無関係ではないでしょう。 そんな彼の珠玉の名言の幾つかを紹介します(一部編集)。


〇想像力は知識よりも重要である。

〇私の精神と物質的生活は、他者の労働の上に成り立っている。

〇常識とは18歳までの偏見のコレクションである。

〇調べられるものをいちいち覚える必要などない。

〇学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、

 それこそが教育だ。

〇人間として真の偉大さに至る道は、一つしかない。

 それは何度もひどい目にあうという試練の道である。

〇人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。

 普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。

〇私は未来のことは考えない。あっという間にやってくるからだ。

〇私は未来のことを考えない。

 たった今決めて行動したことや、

 たった今の幸せを感じることの方が未来をよくする。

 未来は今がつくるのです。

〇一度失敗したら、なぜ失敗したかを考えて、新しい取り組みを考えよう。

〇人生にはたった二つの生き方があるだけだ。

 一つは奇跡などないかのような生き方、

 もう一つは、まるですべてが奇跡であるかのような生き方だ。

〇何かを学ぶためには、自分で体験する以外にいい方法はない。

〇人生とは自転車のようなものだ。

 倒れないようにするためには、走らなければならない。

〇人間性に絶望してはいけません。なぜなら私達は人間なのですから。

〇人の価値とは、その人が得たものではなくその人が与えたもので測られる。

〇私の成功の秘訣が一つだけある、とすれば、それはずっと子どものままでいたことです。

〇他人のために尽くす人生こそ、価値ある人生だ。

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学業以前に大事なこと

▼我が子が不登校になると仰天する親御さんがほとんどだ。無理はない。不登校のことはいろいろ耳にはしていたけれど、「まさか我が子が!」と感じるのが一般的だろう。交通法規を守って自動車を運転していれば大丈夫と思っていたのに、いきなり事故にあったような思いかも。

▼全国の小中学生の不登校数は平成25年を境に4年連続で増えており13万3600人以上の児童生徒が「年間30日以上の長期欠席の不登校」となっている(文部科学省の「問題行動・不登校等調査」による)。各学校からの申告による統計でこういうデータがでるのだから、実際の長期欠席の児童生徒はさらに多いはずである。

▼どういう事情で子どもが不登校になったかは、様々なケースがあり、一概には言えない。しかし、1990年代から顕著になった不登校の検査データ化も進み、ある程度の類型化は可能になっている。受精から誕生に至る過程での何らかの支障があってのものか、文化的社会的教育的な後天的な要因に依るものか、あるいは二次障害的な側面が強いのか等々、今は必ずしも(依然として根強いものはあるが)家庭や親御さんの問題とは考えなくてもよくはなってきている。

▼しかし、いや、だからこそ、とでも言えばいいのか、親御さんは「子どもが学校に行かなくなった。勉強はどうしよう」と考えがちである。我が子に義務教育を提供する保護者としての責任がまず脳裏をかすめるらしい。 その結果、一見自分の子どもの不登校を認めるような「もの分かりの良さ」を見せながら、他方では様々なプレッシャーを陰に陽に子どもにかけることになる。そうすることが我が子を尊重する親としての当然の行動であり免罪符であるかのように。

▼しかし、実際のところは、そういう関わり方は子どもの側からすれば、最悪の迫り方になる。子どもが学校を離れたのは、そこに自分の居場所がなかった、自分がいきいき出来る場がなかった、自分が自分らしく自由に息できる場がなかった…というような理由に因るものなのに、自分が逃れ匿ってもらおうとした家庭において逆に思ってもいなかった束縛に直面することになる。 時には「親の愛」も束縛となる。親子であるから理屈抜きにわかり合えることもあれば、親子だからこその桎梏もある。そこでは個人の自由の翼は力を失い、家族のキヅナは逆に世間体や社会の普通の基準を意識させる。

▼もし、我が子が様々な思惑を断ち切って、不登校という選択をしたのなら、まずはそれを最大限尊重すべきだ。そして、その子の思いを受け止め、活かす方向で考えるべきであろう。元気な姿で生きて眼の前にいることを喜びとすべきなのだ。実際に、家族に理解されなかったと思ったり、家族に打ち明けることさえも出来ずに、自死を選ぶ場合だってないわけではないのだから。

▼これは、勉強がどうの、教科学習がどうの、出席日数がどうの、受験・進学がどうの…という以前の問題である。 この問題がクリアーできていなければ、 逆に言うならば、ここがクリアーできていれば、学業や進学等の問題はいつでも挑戦可能なものばかりである。本人や親御さんにはこの見極めが是非とも必要だ。

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「人生に迷った時の言葉」から

2018年10月13日(土)に秋の「保護者や教員のための不登校セミナー」(第2回)(埼玉県教育委員会主催、官民連携会議協賛)が開催される。
 第1部の埼玉大学教授・馬場久志氏の講演に続いて、第2部では、各ブースで個別の相談会が予定されている。県教委、サポート校等の高校部門、フリースクールの小中の義務教育部門、親の会部門等である。

▼学校離れた子どもたちに「学業のケア」も必要だが、それ以前に「心のケア」が必要だ。その安定や平穏を取り戻して初めて自分の目的とするものに取り組むことができる。
 そういう子どもたちに、先ずは こんな動画を見てもらいたい。気持ちの持ち方、気付きや発見というものが意外な効果を発揮する。自分を見つめ直すよすがになれば幸いだ。

「人生に迷った時の言葉」