アンスクーリングへのお誘い—その①

■□■□ アンスクーリングへのお誘い—-その① □■□■

▼我が子が不登校になった時
 我が子が不登校になった時、つまり学校へ行かなくなった時、親御さんはどうしますか?しばし「まさか我が子が…」と呆然とするかもしれませんね。でも、しばらく(数週間〜数ヶ月?)は不安なまま取り敢えず様子を見ることになるでしょうか。でも、いよいよ学校に行かない&行けないとなった時、保護者としてどうするのでしょうか?「我が子を何とかしなければ…」と思い、まずは学校で紹介された相談機関等に行くことになるでしょうか?
 でも、残念なことに教育行政下の現在の相談機関では親御さんの焦りや不安、本人の「学校には行きたくない」という秘められた気持ちを慮ってくれることは少ないようです。それよりも、いきおい「不登校対策」が優先することになるようです。
 実際のところ、教育行政が用意した相談機関等だけで子どもが元気になり、学校復帰を果たしたという例をあまり聞きません。もしかして、学校では、子どもの思いに寄り添い支援するというよりは、「集団生活が合わない子」として、特別支援学級とか特別支援支援学校に行くことを勧めるのかもしれません。それがその子のためだとして。

▼子どもが学びの主役にはなれない学校現場
 なぜ、子どもは学校から離れようとするのでしょうか?様々な要因はあるでしょうが、例えばその一つに,
「子どもが主役になれない学校」の問題もあるようです。本当は「子どもが主人公」であるはずの学校なのに、実際は全てが文部行政の指導の下にあります。その結果、必然的に「生徒ではなく先生が主役の学校」になってしまうということになります。
 不登校という現象そのものが「先生が主役で生徒は脇役」という空間の中で起きている側面があります。
 「炭鉱のカナリヤ」と言って、炭鉱夫が坑内にカナリヤの鳥籠を持って行き、その生死の状態によって坑内の安全度をチェックするという話があります。それと同じように、不登校という現象も、「もはや子どもにとってその学校は安全な場所ではなく危険に満ちている」ことを知らせるバロメータなのかもしれません。
 ですから、危機を察知した子どもが学校から逃げることは必要なのです。それでもなお学校に行こうとした結果、自死に至ることさえあります。でも、なんと学校生活と自死との因果関係の認定度の低いこと。
 学校生活の中で生徒が学びの主役にならない限り、不登校という現象がなくなることはないのかも知れません。

▼不登校の子どもの学び場の誕生
 1990年代に入り、不登校の子どもたちが毎年10万人を超えるようになってもまだ、教育行政が不登校の子どもたちの支援に動き出す気配はありませんでした(文部省が不登校を「どの家庭でも起こり得る」と認めたのは平成4年のこと)。
 それに当時の子ども観にも問題がありました。「不登校は学校の問題ではなく生徒個人の問題である」とされ、その大部分は子どもたちの「情緒の問題」であると認定されていたのです。
 そういう現実を前にして、「学校から子どもを守る」という立場を明確にして活動し始めたのが、日本における不登校支援の始まりでした(最初は「子ども支援塾」という各地域の個人塾でした)。そして、対学校、反学校的な色彩が濃厚で、「登校拒否」といういい方もされていました。
 そこから生まれたのが不登校の子どもたちを自由に活動させるフリースペースや、学びも取り入れ学校に代わって不登校の子ども達を全面的に支援するフリースクールや、家庭を学校に代わる学びの拠点とするホームスクールという、共に教育行政には頼らない民間による教育活動でした。
(②へ続く)


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いじめ自殺と学校教育:何とかならないか、身内を庇う体質

小4男児の自殺を報じる朝日新聞の記事

沖縄県豊見城(とみぐすく)市で昨年10月、小学4年の男児(当時9)が首をつって自殺する事件があったそうな。何とも痛ましい残念な事件である。
現在の学校で「我が校にはいじめはありません」と白を切るのは難しい。「なるべく起きないように努力する」というのが正直な態度かも。その努力や誠意は認める。何も頭から学校を避難する積もりはない。…それが一般的な親御さんや世間の対応というものだろう。

ただし、「いじめ自殺」だけは絶対にあっては欲しくないのだ。「絶対」である。その学校でいじめ自殺事件が起きたら、当事者や学校の長は辞任を覚悟するくらいの決意で取り組んで欲しい。
ところが、今回起きた小学4年生の自殺事件について、学校側の取った態度は耳を疑うものである。児童が自殺する前に無記名のアンケート調査を行っておきながら、担任は忙しさにかまけてそれに目を通していなかったという。そこには 「毎日いじめられている。転校も考えている」との記述があったそうである。もし、事前に担任が気付いて対処していれば救えたかもしれない命であった。

その非を素直に謝罪し、取り返しの付かない過ちを率直に詫びるなら、それも仕方ないとも言えよう。が、そういう事実が明らかになったことに対して、担任を管理指導する立場にある学校長が、遺族に詫びることは勿論ながら、自殺を図るまで気付かなかった学校側の落ち度を言い逃れる挙に出たのである。
遺族側が学校や市教委の側に「真相の究明を!」と訴えるのは当然のことと言えよう。

それにしても、「全国津々浦々、学校教育のあるところどこでもいじめ自殺がある」というのが偽らざる感想である。
中には「沖縄の自然の中で心を癒やそう」という試みもあるようだ。本当にそうだと言えるのだろうか?「離島では子どもは逃げられないから」という隔離の発想で考える人もいる。
それに、子どもたちはやがて社会の中に帰っていかなければならない。「いつまでもここにいていいよ」とは必ずしも言えない。今は繊細で脆い子どもたちでも、やがては「風邪くらいには負けない」心身をつくらなければいけない。

不登校の子どもたちに最善の方法を絶えず求めてはいるが、不登校自体の持つ様々な側面もまた無視にはできない。

hpb pad から投稿

部活動の今昔を考える:部活動は誰のため?

学校を逃れてくる子どもたち、いわゆる「不登校」の子どもたちの中には、「部活動が原因で…」という場合がかなり多い。不登校全体の割合の中で、特に中学生の不登校の原因となる割合の中では絶えずある一定の割合を占めている。

それは単に「運動が苦手」という生徒(これの放置も問題だが)だけの問題ではない。運動が得意で大好きという生徒の中にも見られる。

一方に、ホーキンス博士( イギリス理論物理学者筋萎縮性側索硬化症を患う )のように身体に問題を抱えている生徒の評価は日本の教育ではどうなるのかという問題があるが、他方では、部活のレギュラーやホープと目されたことで、逆に生徒方がその後の身の処し方等で悩む場合もある。それまでの比較的安定した生活がそれで崩されることも出てくる。
また、生徒が特別なことは望まないのに指導者のキャリアアップに利用されることも多々あるようだ。優れた指導者=生徒にとって望ましい指導者とは、必ずしも行かないようだ。

何が一番問題なのかと言えば、文科省も認めているように、生徒が「部活漬け」になることで他の活動が殆どできなくなってしまうことである。
・部活の中で「スポーツ馬鹿」が出来上がる。
・勉強も家族との交流もそれ以外の活動も、全部することが難しくなる。
将来のある生徒が、部活漬けになることで先の展望が閉ざされるようなことがあってはなるまい。

そのようなことを、この内田良准教授記事ではコンパクトにまとめている。興味のある方はご覧を。 http://rdsig.yahoo.co.jp/_ylt=A2RAqWvo95FW0QgA.w0y4TMj/RV=2/RE=1452493160/RH=cmRzaWcueWFob28uY28uanA-/RB=kII6UeLSEIA5CocXhdOYi2rYzOg-/RU=aHR0cDovL2J5bGluZXMubmV3cy55YWhvby5jby5qcC9yeW91Y2hpZGEvMjAxNjAxMTAtMDAwNTMyNzQvAA–/RK=0/RS=N6eUSv6NdI4tHd1Vwh9zqm7AJM8- 

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いじめと不登校とは連動している

文部科学省が10月27日、2014年度における小中高(国公私立)のいじめについて、その調査結果を発表したのをご存知だろうか? また、不登校の殆どが学校でのいじめと連動しているのはご存知だろうか?こちらは文部科学省のデータにはないので、「いや、知らない」という方々が多いかもしれない。あるいは、「うちは不登校だから、いじめにはあまり関心を持っていません」という方々もいらっしゃるかもしれませんね。

▼なるほど、確かに分類上は違っていますから、そう理解されるのも無理はないかもしれませんね。事実、過去数年間、文部科学省での統計では「いじめの件数は増えているが、不登校の件数は減っている」ということが続いていました。しかし、「いじめと不登校は連動している」というのが現場で直に不登校の子ども達と接したり親御さんの相談を受ける中での実感でした。
 文部科学省のデータに姑息な細工はないとしても、各学校や教育委員会を経てデータが集計される統計としてまとめられる過程で、何らかのバイアスが働きデータの統計に反映したのではないかと見られました。

▼その統計に変更が加えられたなと感じたのは、大阪で部活で顧問教師による体罰で自殺した生徒に対する隠蔽工作が発覚した後のことでした。文部科学省自身が統計データのおかしさに気付き、全国的にいじめ・体罰に関する再調査を実施したようでした。
 そこから、いじめの増加に連動する形で、それまで年々減りつつあるとされた不登校の数値が一転、上昇に転じたのです。しかし、現場での感覚ではそれでも不登校と認定されたのは不登校全体の氷山の一角という認識でした。不登校とするか一時の登校しぶりとするか…それは全く学校でのさじ加減にあるわけですから。

▼そういう認識を持って、この新聞記事を読んで欲しいと思います。「いじめの認知件数は、小中高で約18万8千件に達し、これは6月の時点よりも3万件多く、昨年度よりも約2千件上回ることとなった」ということも、この次記事あるように「発生件数」(=本当に起きている数)ではなく、「認知件数」(=そのように認識された数)」なのだということを押さえながら。

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漢字の手書き、多様な書き方認める方向に

▼みなさんの中で手書きの漢字を(この頃はパソコンの普及などで手書き派は少なくなったかもしれませんが…)正確にできる方はどのくらいの割合でしょうか。小学校の先生でもされている方を除き、学校で習ったように正確に手書きできる方はとても少ないのではないでしょうか。でも、「それで困った…」という声をほとんど聞きません。つまり、知らなくても日常生活を送る上では支障はないということ。

▼文化庁の文化審議会漢字小委員会は10月16日、漢字の手書きについて、「とめる」「はらう」などの細部にこだわる従来の方針を改める中間報告をまとめたようです。「随分遅かったなあ」というのが正直な感想。これで子ども達も漢字を覚えるときの余計な苦労から開放されます。先生にとっても良かったはずです。

▼社会人が使う目安とされる常用漢字表では細かや字形の相違は許容されている。字体があっていれば多様な書き方が認められている。ようやく不要な学校教育の縛りを離れて社会的な運用の方が優先されるようになったのは喜ばしいことだ。 いばしば「学校知」ということが問題になる。考え方としては正論なのかもしれないが、「社会知」からはかけ離れていて役に立たないことの代名詞のような言い方をされてきた。長い目で見れば、そんな学校教育がいいはずがない。「学校の常識」=「社会の非常識」のような愚はそろそろ終わりにしたいものです。

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「保護者や教員のための不登校セミナー」へのお誘い

「保護者や教員のための不登校セミナーパート2」(官民連携による)(主催埼玉県教育委員会)のお知らせ

 

7月14日開催のパート1に引き続き、パート2が10月17日(土)さいたま市民会館うらわにおいて開催されます。フリースクールや親の会等の民間団体が主導のパート1の後、何度かパート2の開催に向けて会議を重ねてきました。

 

全国の不登校の数がここ数年減少傾向にありましたが、再び12万人の大台に乗り増加傾向に転じました。いじめと不登校は連動しているというのが現場の認識ですが、今まではいじめは増加しているが不登校は減少しているというのが学校側の認識でした。しかし、不登校の数値そのものが正確ではなく、地域によっても認定の仕方はまちまちという印象でした。

 

悪く言えば「不登校の増加」ですが、よく言えば「不登校の統計数値の精度が高まった」とも言えそうです。とにかく、学校教育の中で負の部分として臭いものに蓋との扱い出であったものが、適切な対応を行う前提として統計数値の精度が上がったのはいいことです。

 

しかし、見方を変えれば単に体裁を繕っているだけでは不登校対策に前進はないと腰をすえてかからねばならない段階にまで不登校に代表される教育の危機が高まってきたとも言えそうです。

 

長年の関わりの中で、今までは未知の領域であった不登校問題に様々な角度から光が投げかけられると同時に、現場の関わりの中からも様々なものが見えてくるようにもなりました。

それを学校教育の外部に存する民間教育の側から言うならば、当初は時代のニーズに応じ未来を見据えた子ども達の希望に応えるものであった学校教育が、時代の急速な進展の伴い社会の多様なニーズに応えられなくなり、未来を志向する子ども達の桎梏(手かせ足かえ)にさえなりつつある事態が見えるようになってきました。

 

もちろん、不登校の児童生徒の中には、学校教育に携わる方々が以前から考えていた不登校の範疇に当てはまる子ども達も多いのですが—-一般に精神的肉体的に障害を抱えていて、他の子ども達と対等に伍していくことが難しいような子ども達など—-必ずしもそうとは言えない子ども達も多数排するようになってきました。学校教育では従前に自分を表出し切れない子ども達の出現です。

 

言うまでもなく、子どもというものは親の庇護を受けて育ち、やがて親を超えていく存在です。それでこそ世代の交代と伝達が円滑に行われます。しかし、ともすると私達大人はその単純な原理を忘れがちになります。心したいものです。

基本的に子どもの行動は、それが叫びであれ、笑いであれ、怒りであれ、涙でれ、内なる心の反映。それを素直に受け止めることから始めたいものです。

 

もし何らかの理由で現在不登校になり、今後の方途について悩まれているのであれば、私達官と民とがともに手を携えて協議を重ね企画した不登校セミナーです。是非のご来場を心からお待ちしております。

私達の企画したセミナー皆様のお役に立てましたら幸甚に思います。

 

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◆ 不登校は、なぜ生まれるの? なぜなくならないの?ー(1) ◆

 不登校は、なぜ生まれるの? なぜなくならないの?ー(1) 

▼学校で不登校にならないように、今では就学時検診と言うのもが広く行われています。
 だから、少なくとも身体的なことはクリアーできていたはず。それなのに我が子は不登校になってしまった!……そんな思いはありませんか。

 「理不尽です。納得がいきません!」

 そういう親御さん、結構多いのでは?
 

 そこで、不登校が生まれる<学校という教育システム>について、ちょっと考えてみましょう。

▼不登校は、子どもに起因するものもありますが、<日本の学校制度>に起因するものも多いのです。

 就学時検診では問題がなくても、その後に障害児的な症状を発症する場合もあります。

 身体に不具合が起きた…、自閉傾向など精神状態が悪化した…、学業などで適応が困難になってきた……などなど。

 でも、その場合にも、必ずしも本人のせいには出来ないいろいろなことがあります。

 その中でも、身体的なもの、知的障害的なものに関しては、教育行政機関の側でも多少対応が進んできたように思います。

 でも、そこに親御さんが不満を持たれるとすれば、それは

 我が子が人間らしく扱われていない!

 ということになることがあるかもしれません、

▼学校という教育機関に限らず、たとえば養護施設、特別学級、病院、少年院、刑務所、精神病院、孤児施設…などの公的な機関やそれに類する機関…。

 そこでは、その中に収容される人たちはみな、何らかの意味で「完全な指導者」に対する「不完全者・未熟者」という構図になっており、そこでは<普通>という名の健全な状態に戻ることが課題とされます。

 単純化すれば「完全なる人が不完全なる者を矯正する」ための収容所という図式です。

▼それに対して、本来フリースクールという民間の教育機関は、まだ日本に近代学校制度が存在する明治期よりも前の、江戸期に隆盛を極めた個人の育成を目的とする寺子屋にそのルーツを遡るものです。

 そして現在は、文科省の許認可に関係なく、不登校の子ども達の重要な支援の場となっています。

 ところが、不登校支援を本来の目的とする日本の民間の教育機関と称される、たとえばフリースクールやサポート校など今、ほとんど当初のそのような目的から離れてしまっています。

 その大部分は今、障害や疾患が強く、そういうサポートが欠かせない子どもたちを対象にした厚生福利施設として活動しています。
 不登校支援という当初の目的はサブタイトル的な運営となっています。
 なぜそうなってしまったのでしょうか?

 日本の教育制度を見れば一目瞭然です。

▼文科省認可の公立学校や私立学校には税金や助成金が投入されます。民間の教育機関には1円も投入されません。
 しかし、フリースクールの側は学校を離れた子ども達を独自の視点から支援するために、文科省に一元管理されないそういう条件を敢えて良しとして来たのです。

 そのため、不登校支援の日本のフリースクールやサポート校のほとんどは、その生き残り策として、厚生労働省管轄下の障害児支援事業を行うことを主とするようになりました。
 不登校支援が主たる目的ではなく、不登校ビジネスが主となったわけです。

▼そうなると、奇妙な逆転が起こります。「不登校は早期に立ち直らせるものではなく、いつまでも続いてほしい状態」になるわけです。今、不登校支援の仕事はそういう難しい場面にあります。
 利用者の慎重な見極めが求められるところです。

 「不登校はなぜ起きる?」…この問い掛けは、「不登校はなぜ義務教育で起きるの?不登校になるのは何が問題なの?」と言い換えてもいいかも知れません。
 これは「義務教育なのに学校を離れると何の教育的恩恵も受けられなくなる」とこと連動しています。

(続く)


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13歳の自閉症の少年がTEDでスピーチ IQはアインシュタイン超え

学ぶことをやめろ— 13歳の自閉症の天才少年がTEDで語る
この刺激的で挑発的な言葉を学校を離れた全ての不登校の子ども達に贈りたい

▼まず、この<アインシュタイン以上のIQを持つ、自閉症の少年のスピーチ「大切なのは学びじゃない」>という記事に目を通していただきたい。そして、その後のビデオを見てほしい。13歳の自閉症(autism)の少年ジャコブ・ベネット(Jacob Banett)が有名なTed Conferenceで語っている。「なぜ彼がそんな大舞台に?」と思うかも知れない。そこは誰でもが立てる場所ではない。世で脚光を浴び他に類のない個性を持った、言わば天才が立つ場所だからである。

▼彼はどんな天才なのか。彼は3歳の時、自閉症と診断され、フィンガーペイントとか絵本を読むこととかの、幼少時の年令で当然と考えられた様々な学びや活動が出来ず、普通の人間として育つための学びが出来ないと判断され、特殊クラスに入れられた。そこでは普通の教育がなく学ばくてもすんだ。その結果彼は学校で「学ぶ」ことから解放され、ケプラーの法則とか、光と影とか(後の天体物理学や高度な数学などに繋がる)を誰にも邪魔されず「考える」ことができたのである。まさか靴紐も結べない自閉症の子が高度な自然科学について考えているとは思いもしなかっただろう。

▼彼は10歳で大学に入る。IQはアインシュタインより高いのだとか。いまは新たな論文発表を控えている。
彼は同じ自閉症の傾向があったニュートンやアインシュタインについて語る。ニュートンは当時流行していたペストのせいで大学が閉校していた。そこで彼は学べなかった代わりに考えることに専念したという。ニュートンが考えだした全てのものは学ぶことをやめたこの2年間に生み出しているという。また、ユダヤ人であったアインシュタインはナチスの台頭するドイツの大学で職を得られず特許庁で働いたが、彼はそこでたっぷり考える時間を得、創造的な思考に費やしたのだとか。

▼常人の行動としては問題のある仕草もあるが、やはりこの少年は並みじゃないと思わせる一端をさらりと語る。彼はゲームにハマることはないようだが、そういう考える営みが彼にとってはゲームの延長みたいなものかもしれない。店で買った500枚の紙を使い切り、ホワイトボードでも書き足らず、窓ガラスにまで書く…。両親を含め駄々っ子の落書きにしか見えないシロモノが(公園で遊びもしないで!)、実は常人には理解不能な大学の専門家にしか理解できない数式だったのだ。
たった12歳の彼が微分積分を学ぶ人用のDVDを出したことが新聞で写真入りで掲載され、中国語など他国語にも翻訳され、やがてFOXテレビやCBSからも取材を受ける。それで一気に世界の数百万人もの人達に視聴されることとなった。

▼最後に、彼は大勢の会場の人々に語りかける。過去の偉人達は天才だから歴史に残る発見をしたのか?そうじゃないと。高いIQや暗記力を持つサバン症候群の人達がいる。彼等との違いは何か?「学ぶことを、考えることや創造することに変えた」ことだという。セラピストには将来も話すことが出来るようにはならないだろうと言われたが、彼はTEDの舞台で今、天才少年のゲストとして、大勢の前で話しているのだ。信じられないような奇跡!それは、彼が「学ぶことを、考えることや創造することに変えることが出来た」からなのだ。
彼は聴衆に呼びかける。「24時間という僅かな時間でもいい、他のことは何も学ぶな。ただ自分の興味のある分野について考えろ。それが音楽であろうと、建築、科学であろうと構わない。」と。

なぜそこまで「Stop learning !」(学ぶのをやめろ!)と言うのだろう?彼は「学んだことを全て忘れろ、捨て去れ!そして皆とは違うように考えろ」とも言う。全てが個性的で独自である天才だから言えることなのか。言えるから天才なのか?人の言行に盲目的に従い信徒であることを誇りとする凡人とはそこが違うと言いたいのか?“自分で考えてみよう”

※不登校の子ども達もまた独自である。今、自閉症と判断される子ども達も以前より多くなっている。
そういう子ども達に対して、私達はいつも人から外れることを悪とし、正にこの天才少年ジャコブ・ベネット君が真っ向から拒否するような同調圧力をかけてはいなかっただろうか?
親も教育関係者やその他の人もよく考えてみなければならない大きな問題がここには含まれている


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NPO法人とは何か —- 教育NPOと最近の動きから 2015年6月14日

ブログ:「子どもネット」から  2015年6月14日

 — 子どもの心と命のために — 子どもの学びと育ちと人権と — ◆ 

——————————————————————————

▼ 「NPO法人は特定の政治活動や宗教活動を行ってはいけない」という決まりがある。また、NPOはNon-Profit Organizationの名の通り、公益性を追求し企業のような利益をあげることを目的としてはならないとされている。そして、NPO法人として活動す るためには」、法律に定められた書類を添付した申請書を所轄庁に提出し、設立の認証を受けなければならないとされています。

▼ しかし、これはあまり額面通りに捉えない方がいいかもしれません。組織や団体を運営し人を使う以上、無償(つなりタダ)で行うわけには行きません。少なく とも組織・団体を維持するための経費は自分で生み出すしかありません。中には全く助成金目当ての団体もあるようですが、続けることは難しいでしょう。ただ し、それは必要にして最小限の事柄であり、中心はあくまでも市民団体としての活動、公益性のある事業での活動となるようです。

▼市民活動の 本来の趣旨は行政や民間の企業がなかなか行えない活動を行うこと。そして、その大きな目的として、行政が本当に市民のためになる活動を行っているかどうか をチェックする役割もあったはずです。しかし、1998年12月に出来た特定非営利活動促進法では法人格を取得する際に行政機関の許可が必要であり、法人 格取得後も主務官庁による指導を受けることになっています。民間企業をお客とする税理士でもびっくりの縛りがあります。
つまり、本来行政を監視する役割のある市民団体が、NPO法では逆に行政による事業の許可を得なければならないわけです。
これを甘受すれば、行政を監視するどころか、民間企業では事業化は採算が合わず難しいし、行政でも税金を投入してやるわけにもいかない…そういう種類の仕 事をNPOに下請けで流し、NPOはボランティア並みの料金で安請け合いする、それがNPO法人の仕事って言ったらまちがいだろうか?

▼だからだろうか、前から市民感覚の冴えた仕事をしていた団体がNPO法が出来てからも頑としてNPO法人になることを拒否して現在まで活動している。その姿 勢には脱帽だ。しかし、その団体が年々縮小しつつあるのが気に掛かる。残念ながらそういう姿勢を一般の市民に理解を求めることはとても難しい。「行政に認 可された安心安全な市民団体がNPO法人」などというびっくり仰天のありえな~い現実があるからである。

▼格差を伴った今の構造的な社会不況は容易に改善されないまい。前途はますます厳しい。NPOの中でも、厚生労働省関係の仕事ならまだ助成の対象になる事業もあろうが、教育関連の仕事は許認可を文科省が一手に引き受けているからさらに難しい。
特にフリースクールの運営事業は学校外教育ということで今までもほとんど蚊帳の外に置かれてきた。ところが、今、安倍政権になってから下村文科相率いる文 科省の動きに今までにないものがある。点数稼ぎなのか?日教組潰しの一環なのか?どこまで本気なのか?今、フリースクールや夜間中学に対して文科省や地域 の教育委員会で認可して税金で補助しようろいう動きがある。今までは頑として突き放してきたのに、とても奇妙な動きである。

このことはまた追って報告したい。
(続く)

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試行錯誤の末にエイヤッとの思いで…

▼自分の年頃でネットをやっている人はあまり多くない。高校の同期会などでかつての仲間とあっても、電話等の連絡用には使いこなしてはいても、まだまだ新聞ラジオ派であって、情報収集の手段として使っているのは、新聞社とか役所とかやむを得ず使わざるを得ない仕事や職場であって、それを離れて使いこなす人は少ない。常時使っているのは自身がメルマガを主宰者だとかサイトを立ち上げているとかの一部の人に過ぎない。
だから、SNS全盛の時代とはいえ、facebookやtwitterをやっている人は皆無に近い。そんな話をすると、どこか異邦人を眺めるような眼差しで見られる。だから、基本的に我々の世代はパソコンやスマホに疎く、必然的に情報弱者になっている。

▼だから、さあ~自分で操作に行き詰まった時は大変である。同世代はまるであてにならないからもっと若い世代、大方が20代の若者の登場である。
私達が電化製品の発達に追いかけられながら歩んできた世代とするならば、20代の若者はそういう環境に生まれながらにして浸かっていた世代である。だから、こちらが四苦八苦長時間悩むところを立ち所に解決してくれる。実にはやい!で、時々苦言を呈される。「何でこんな馬鹿な設定にしているの!全部消して!」と。調べ物でもそう。こちらは疑問を持ったらまず自分の頭で考えて、それで分からないとことはいろいろな本や雑誌等に当たるなど時間をかけて何とか見つけ出す。ところが、彼等若い連中はその場でスマホで検索する。そして立ち所に最適な答えを見出す。
もう老人の知恵も知識も必要ないかのようだ。「パソコンで日本語が打てる!」と感動した世代だが、今世の中はもの凄い加速度で動いているように自分には見える。

▼そんなわけで、昔Basic、それからHtml、今Wordpressと来ているが、何せ分からないことだらけ。パソコン等は正式に勉強したことがなく全くの我流であるから、しばしば壁に突き当たる。出口なしの状態に陥る。それでも、我流の人間はあまりマニュアル本を見ない。その結果、見る人が見れば「信じられな~い!」という迷路に迷い込んでいることもしばしば起きる。たとえば、ウイルスソフトを3つも入れているとか…。
でも、最近は少しばかり利口になったかな。ネットで不具合の原因を調べたり、◯◯情報を検索したりするようになってきた。さて、今回もWordpressで「404エラー」が頻繁に起きてこまった。が、どこにも書いてない!漸くこれかな?というものを見つけた。うまくいくかどうか…。まだまだボケているわけにはいかないな。

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