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担任の児童いじめ & 「不登校バスターズ」の結成

ブログ:子どもネットから

 — 子どもの心と命のために — 子どもの学びと育ちと人権と — 

◆最近の教育ニュースから:「50代担任、児童をいじめ」 
◆『不登校バスターズ』結成のお知らせ

「50代担任、児童をいじめ 体かく動作をまねてからかう」:朝日新聞デジタル(2015年6月12日)からの情報である。
福島県郡山市の50代の先生が、児童(小学校高学年)の身体をかく真似をしたり、からかいの言葉をかけたりしていじめていたらしい。昨春から今年3月までというから結構長い。小学校は学級担任がクラス全体を管理し、価値付け、支配する。生徒は学校にいる間、学業や振る舞い、価値評価に至るまで担任が一括管理する「学級王国」の中で過ごさねばならない。特に小学低学年、中学年の子どもは先生に好かれているか否か—-それがその子の学校での命運を左右することにもなる。もし、その子が一年間も尊厳を踏みにじられ、からかいの種にされるような環境の中に置かれていたならば、一体どうなるか。場合によっては、その子は自分に自信を持てなくなるばかりか自己卑下の塊となり、
トラウマ(PTSD)状態になってしまいかねない。場合によっては、その子の将来をも閉ざすことにもなってしまう。

小学校の「学級王国」という特殊な空間は、担任の意図に関わりなくそういう状況になりがちだ。学級担任は余程の注意を払う必要がある。ところが、この50過ぎの担任は、児童を言葉でいじめたり 身体をかく動作をまねてからかうなど、生徒への思いやりや想像力がまったく欠如している。指摘されてから「児童が嫌だと思っていることがわかったので謝罪した」とか「(体のことを)知っていればやらなかった」とか、論外の弁明である。
これでは小学校教師としての最低限の条件をも満たしていない。逆に同級生の女子生徒の方がストレスになり、カウンセリングさえ受ける状態になっていたという。この歳になるまで、この先生はあり得ない教師感覚で生徒に接してきていたのかと思うと空恐ろしい。先生による悪質ないじめが発覚して、これ以上犠牲者が増えなくなって良かった言うべきか。

▼知らない親御さんは、こういう担任のいじめは例外的なもので、あまり大袈裟に考えることではないと思われるかもしれない。実際はどうか。意外なほど多いのである。ただし、今回のように公になることはあまりない。「恥の文化」が悪く作用しているのか。被害者が上司をパワハラで訴えることは日本社会ではあまりないが、学校ではもっと少ないだろう(それに、いじめている側にはいじめているという意識は希薄である)。それを端的に示しているのが私達のようなフリースクールにやってくる「不登校の子ども達の存在」である。

不登校の子ども達がなぜ生まれるのか?「炭鉱のカナリヤ」という言葉がある。炭鉱夫が炭鉱のトンネルに入るときにカナリヤを連れて行く。坑内で異常ガスが発生していても人間はなかなか気付かない。カナリヤが先に死ぬ。それで人は危ないと判断し退避する。不登校となって学校を離れた子ども達は、まさに本能によって危険を察し、学校という場を離れた子ども達なのだ。だから、その不登校の子ども達の背後には必ず「離れざるを得なかった事情」がある。端的に言って、不登校の子ども達はみないじめや暴力の被害者である。だから、「不登校は学校教育のカナリヤである」と言ってよかろう。ひと時、「いじめは増えているけれども、不登校は減っている」と言われたが、真っ赤なウソである。
不登校の陰に必ずいじめがある。各学校で不登校の数を巧妙に操作し、実数をぼかしている。最近のデータで「また不登校が増えた」となっているが、大阪で体罰での自殺者が出てから、文科省が教育委員会等から統計で上がってくるデータを洗い直した結果である。実数が急に増えたわけではない。統計のやり方がちょっと変わっただけである。不登校の実数はその2倍も3倍もあるのではないかとも言われるが、あながち風評ではないのかもしれない。

本来、「子どもが主人公」であるはずの学校で、「ここは自分が生かされる場所ではない」と危険を察し、学校に行けなくなったり行くことを拒否する子ども達が、小学校中学校だけでも全国で12万人を超えている。ピーク時は13万人と言われ多少減ったような印象だが、おそらく実数はほとんど変わりがないのではないか。
私達は、1995年に不登校専門の月刊教育雑誌『ニコラ』を創刊し、以来一貫して不登校問題に関わってきたが(教育行政や大学等で不登校研究が始まったのはそれから後のことである)、教育の内実は本質的に何も変わらず、不登校問題も一向に収束していない。奇妙な形で不登校問題が社会的に認知されるようになったことで、逆に解決困難になったケースも多い。「不登校は解決するものではなく、放置するものになった」きらいさえある。その結果、社会的ひきこもりやニートと言われる人達が異常に増えることになった

▼「不登校を克服し解決するためにはどうしたらいいか?!」— これが再び論じられなければならない。教育行政は学校で教育を受けている子ども達のものであるから、不登校の子ども達のためにはほとんど動かない。最近、文科省でフリースクール等の民間教育団体への実態調査などの動きがあるが、文科省への圧力利権団体である学校外教育業者への便宜を図ったものにしか見えない不登校となって困っている本人やその家庭への直接の恩恵は何もない本人や家庭への学習権や教育権の保証はどこにも明記されていない。「不登校になった本人や家庭への教育バウチャー」一つ実現していない。それなのに、バラバラに分断された不登校本人やその家庭の保護者たちは、ただ泣き寝入りするだけで一向に団結して動こうとはしない。
改めて『不登校バスターズ』が必要ではないか?不登校問題の告発&撲滅隊である。かつて『いじめバスターズ』というのがあった。不登校問題も、真剣に向き合おうとするならば、バラバラに分断されている状態では不可能である。一人でも解決は難しい。
改めて、今まで子どものいる現場から問題を提起してきた「不登校専門の月刊教育雑誌『ニコラ』の活動」と「フリースクールでの子ども支援の実践活動」の統合として、『不登校バスターズ』を結成する。対象は、不登校の子ども達本人とその保護者、不登校専門の支援者、一般の教育関係者、多様な分野の教育問題に関心のある市民などである。
詳細は追ってお知らせしたい。

(続く)

 

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「子どもネット」から:活動内容などのお知らせ~

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◆最近の教育ニュースから:「50代担任、児童をいじめ」 
◆『不登校バスターズ』結成のお知らせ

「50代担任、児童をいじめ 体かく動作をまねてからかう」:朝日新聞デジタル(2015年6月12日)からの情報である。
福島県郡山市の50代の先生が、児童(小学校高学年)の身体をかく真似をしたり、からかいの言葉をかけたりしていじめていたらしい。昨春から今年3月までというから結構長い。小学校は学級担任がクラス全体を管理し、価値付け、支配する。生徒は学校にいる間、学業や振る舞い、価値評価に至るまで担任が一括管理する「学級王国」の中で過ごさねばならない。特に小学低学年、中学年の子どもは先生に好かれているか否か—-それがその子の学校での命運を左右することにもなる。もし、その子が一年間も尊厳を踏みにじられ、からかいの種にされるような環境の中に置かれていたならば、一体どうなるか。場合によっては、その子は自分に自信を持てなくなるばかりか自己卑下の塊となり、
トラウマ(PTSD)状態になってしまいかねない。場合によっては、その子の将来をも閉ざすことにもなってしまう。

小学校の「学級王国」という特殊な空間は、担任の意図に関わりなくそういう状況になりがちだ。学級担任は余程の注意を払う必要がある。ところが、この50過ぎの担任は、児童を言葉でいじめたり 身体をかく動作をまねてからかうなど、生徒への思いやりや想像力がまったく欠如している。指摘されてから「児童が嫌だと思っていることがわかったので謝罪した」とか「(体のことを)知っていればやらなかった」とか、論外の弁明である。
これでは小学校教師としての最低限の条件をも満たしていない。逆に同級生の女子生徒の方がストレスになり、カウンセリングさえ受ける状態になっていたという。この歳になるまで、この先生はあり得ない教師感覚で生徒に接してきていたのかと思うと空恐ろしい。先生による悪質ないじめが発覚して、これ以上犠牲者が増えなくなって良かった言うべきか。

▼知らない親御さんは、こういう担任のいじめは例外的なもので、あまり大袈裟に考えることではないと思われるかもしれない。実際はどうか。意外なほど多いのである。ただし、今回のように公になることはあまりない。「恥の文化」が悪く作用しているのか。被害者が上司をパワハラで訴えることは日本社会ではあまりないが、学校ではもっと少ないだろう(それに、いじめている側にはいじめているという意識は希薄である)。それを端的に示しているのが私達のようなフリースクールにやってくる「不登校の子ども達の存在」である。

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不登校の陰に必ずいじめがある。各学校で不登校の数を巧妙に操作し、実数をぼかしている。最近のデータで「また不登校が増えた」となっているが、大阪で体罰での自殺者が出てから、文科省が教育委員会等から統計で上がってくるデータを洗い直した結果である。実数が急に増えたわけではない。統計のやり方がちょっと変わっただけである。不登校の実数はその2倍も3倍もあるのではないかとも言われるが、あながち風評ではないのかもしれない。

本来、「子どもが主人公」であるはずの学校で、「ここは自分が生かされる場所ではない」と危険を察し、学校に行けなくなったり行くことを拒否する子ども達が、小学校中学校だけでも全国で12万人を超えている。ピーク時は13万人と言われ多少減ったような印象だが、おそらく実数はほとんど変わりがないのではないか。
私達は、1995年に不登校専門の月刊教育雑誌『ニコラ』を創刊し、以来一貫して不登校問題に関わってきたが(教育行政や大学等で不登校研究が始まったのはそれから後のことである)、教育の内実は本質的に何も変わらず、不登校問題も一向に収束していない。奇妙な形で不登校問題が社会的に認知されるようになったことで、逆に解決困難になったケースも多い。「不登校は解決するものではなく、放置するものになった」きらいさえある。その結果、社会的ひきこもりやニートと言われる人達が異常に増えることになった

▼「不登校を克服し解決するためにはどうしたらいいか?!」— これが再び論じられなければならない。教育行政は学校で教育を受けている子ども達のものであるから、不登校の子ども達のためにはほとんど動かない。最近、文科省でフリースクール等の民間教育団体への実態調査などの動きがあるが、文科省への圧力利権団体である学校外教育業者への便宜を図ったものにしか見えない不登校となって困っている本人やその家庭への直接の恩恵は何もない本人や家庭への学習権や教育権の保証はどこにも明記されていない。「不登校になった本人や家庭への教育バウチャー」一つ実現していない。それなのに、バラバラに分断された不登校本人やその家庭の保護者たちは、ただ泣き寝入りするだけで一向に団結して動こうとはしない。
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不登校の子どもと親御さんと支援機関の関わり方と—-(1)

▼不登校支援の初期の頃にははっきり見えなかったものが、15年、20年と関わってくるとそこから自ずと見えてくるものがある。そして、不登校の子どもの動態もその支援の仕方もそれにつれて少しずつ変わってきた。
それでは、学校教育の中で不登校への理解が進み、不登校支援の方法にも進展があったのかと言えば、必ずしもそうとは言えない。だんだんと複雑化してきたと言った方がいいかもしれない。

▼逆に、事態が深刻化して不登校からの立ち直りが容易ではなくなったということも起きてきている。特に近年、経済格差が教育格差に連動し(この傾向は今に始まったことではない。フリースクール運営の当初から明らかであったが)、もやは努力すれば報われるという「三丁目の夕日」的な、ジャパニーズ・ドリームを象徴した牧歌的な風景はどこにもなくなってしまった。

「子どものいる風景」から 戦争と子ども達 2015年04月09日

「子どもって何歳までなんでしょう?」という問いかけがあります。でも、日本語で「子ども」って状況により様々。ここでいう子どもとは、一応未成年で、まだ自立できない段階の少年少女というくらいの感覚で捉えています。
でも、この子ども時代の過ごし方、生き方というものがその後の人生に決定的とも言えるほどの影響を与えることになります。「蛙の子は蛙」というだけでなく、自分では選択権のない子どもを取り巻く環境の如何が—その向き合い方を含めて—多大な拘束力を持つことになります。
個人の意志に関係なく、出自とか家系とか帝王学とかが幅を利かすようになるのもそのためです。


▼今回、紹介するのは、日本よりももっと過酷な悲惨な状況の国々に生を受けた子ども達。今の日本には縁遠いかもしれないけれど、これもまたこの地球上で実際に今どこかで起きている出来事なわけです。

確かに今までは遠い対岸のお話でした。しかし、今後、日本は出遅れた船に駆け込む乗客のように、国際社会の一員に仲間入りです。ですから、世界にはこういう現実もあるということをしっかり理解していることが必要になります。

爆撃で生き埋めになった子どもの救出

https://youtu.be/DPUAnsQhEW4

この動画で一つの命を救うためにみんなが協力し合う素晴らしい行動を目の当たりにします。でも、イスラエルのガザへの無差別の爆撃がなければ必要なかったこと。涙なしには見られないこの映像です。
このような状況下で「命が救われただけでも奇跡」という過酷な現実を子どもは生きていくことになります。

 ▼「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて)
<http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/c45f9793732aa7e8116d123f503b3dd9>

皇后陛下が彼とその写真について触れられてから一般に知られるようになったようです。長崎への原爆投下後、報道写真家・ジョー・オダネルが撮影したものです。
当時の少年らしく直立姿勢をとって立つまだ幼い少年が背負っているのは死んでしまった幼児の弟です。弟を焼く順番をじっと待っています。恐らく原爆で両親も失い、そしてたった一人の弟も死んでしまい、じっと悲しみに耐えている姿でしょうか。その後、この少年はどうなったのでしょう。彼自身、生き残れたのでしょうか。

▼占領軍の任務を帯びて、原爆の破壊の様子を記録するために長崎に入ったオダネルは、軍の命令に背き、密かに、30枚の写真を撮影していたのです。その一枚がこの少年の映像。オダネルの行動はアメリカ人の逆鱗に触れます。でも、彼はその地獄絵図を見て、良心の呵責に耐え切れなかったようです。彼の反戦、反原爆活動の始まりでした。

※(因みに、この映像は「ウィンザー通信」という「アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師」のブログから借りたものです。)

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「子どものいる風景」から 20140919号 全ての不登校の子ども達に脱・不登校、自己実現の成功体験を! 

不登校の子ども達は親や周りの人達の関わりを最大の環境として育つ。その人達が子ども達を支援すると言いながら実際には諦めの人生訓を示していることが多い。不登校の子ども達に脱・不登校の喜びを、自己実現の達成感を味わってほしい。


 ▼「フリースクール・ぱいでぃあ」では、敢えてこの文言を掲げたい。確かに、生まれつきの障害等の事情で学校に行きたくても行けないお子さんであったり、自己実現させたいのはやまやまだがそれが難しいと感じている親御さんも多かろう。それでも、あえてこの文言を掲げたい。
  かつて村井実さんという方が『アガトス』という雑誌で「人は皆、良くなりたいと思って生まれてくる」という趣旨のことを述べられていた。同感である。 
 私達の掲げる「生きる喜び・学ぶ楽しさ」という言葉もそれに呼応している。 

▼また、「ぱいでぃあ」という名称も元々はギリシャ語で「遊び」や「学び」を意味する「パイディア」に由来する言葉。とりわけ、その「遊び」という名称に注目した。 
 様々な人間の行為の中で最初に「遊び」という営みに注目したのは『ホモルーデンス』(遊戯的的人間)を世に表したヨハン・ホイジンガであろう。(彼はオランダ人であったがその思想がナチスに警戒されて幽閉されたまま無念な最期を遂げている)。ホイジンガは著書の中で、人間の全ての文化的行為は「遊び」に由来すると語る。学問、芸術、文化、様々な想像力、戦争さえもそこから生まれると。 
 その「遊び」の論はロジェ・カイヨワ『遊びと人間』によって更に発展させられ、現在に至るが、そこで再び「パイディア」という言葉と出会ったのである。 
 「遊び」とは、「いつまで遊んでいるの!少しは勉強でもしなさい!」などと、親御さんがお子さんを叱る時に使うような、そんな狭い概念ではない。 もともと「遊び」と「学び」は同根のもの、通底しているものなのだ。

▼よく、不登校問題の専門家と称される大学の先生などでも、「脱・不登校」とか、「不登校の子どもの成功体験」などという文言に過剰反応して(?)、批判的にみる人もいる。そして、それが一部の親御さん達(重い不登校体験を持つ人に多いかも)の熱烈な支持を得たりもする。 
 たとえば、不登校の状態がまだ完全に抜けきっておらず、様々な精神的支持が必要な段階であるのに(この立ち直り具合も周囲の影響は無視できないが)、本人の意思を無視する形で就労に参加させたりすることがある。すると、当然本人はつまずく。こういう事例は一つや二つではない。そうして、社会参加できないまま、「信じて待つ」ことが奨励される。確かにそれは間違いとは言えない。 

▼確かに、やがてその子は動き出すようになるかもしれない。しかし、それは親が積極的に関わった時ではなく、半ば諦めた時であることに注目したい。諦めきれない親は「いつまで待てばいいんですか」となる。そしてその時本人は5年、8年、10年と引きこもった後のことであることがとても多い。その子の人生にとって最も美味しい時期を引きこもりで潰してしまうに等しい。その意味では、長らく社会から隔離され、軟禁され、幽閉されていた人の生き方に等しい。なんとも無念な無残な生き方であることか。単なるボタンの掛け違いとも言える不登校であったものが、人をここまで悔しい生き方に追い込んでいいものか。 
 「不登校の子に寄り添って」「子どもの気持ちを尊重して」等という言葉は子を思う親には何とも心地よく響く。現場にはあまり関わらず机上で不登校を説く教育の専門家の言は、時には、出口なしで悶える親御さんにとっては救いの天上の声にも聞こえることがあるかも知れない。でも、その陰で「地にまみれて生きる者」は人知れず声もなく慟哭しているかもしれないのだ。そういう声が親御さんの心の耳に響いているだろうか?果たして、 子どもに寄り添うとはそういうことなのか?

▼教育者の視点でもなく、親御さんの視点でもなく、それらを包括し、子ども本人の網膜に映ずる風景に焦点を合わせてみたいもの。 
 しかし、子ども自身はまだ親御さんに庇護される年代。まだ自分の目に映じたものを自分の価値観で判断し、意見を言うことはかなり難しい。(だから、不登校という身体的な行動となったのだが…)ほとんどは親御さんや周囲の声に和して答えている。とかく心優しい子どもほどそうしがちである。不登校の子ども達は実に親思いなのだ。 
 不登校の場合、そのお子さんを支える親御さんを応援することはとても大事なこと。その意味で専門家の言うことに大きな間違いはないのだろうと思う。 
 しかし、それがどれだけ「自分は良くなりたい!」「生きている喜びを味わいたい!」「人としてこの世に生まれた幸せをこの手でつかみたい!」という希望に応えるものになっているだろうか。その意味で、時には人的環境としての親御さんに批判的である。でも、分かってくれる人は分かってくれていると思っている。それに、なぜ子どもが主体であるべき学校で子どもが行けなくなる現象が生じているのにそれを問わず、対症療法的に子どもに迫り、自己実現を求める思いにまでブレーキをかけようとするのか? 
 そういう思いを込めて、「ぱいでぃあ」では「遊びと学びの融合」「生きる喜び・学ぶ楽しさ」を掲げ、不登校を肥やしにしバネにして、自己実現に取り組んでもらいたいと思う。そして、それぞれが皆「自分の思い描く成功体験を実現」してもらえれば最高ではないかと思っている。

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「子どものいる風景」から 20140704号 不登校からの再起—天才ランドセル俳人の誕生!

 

いじめられて不登校に でもランドセル天才俳人に変身した小林凛少年 [br]
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▼文科省や学校はなかなか認めようとはしないが、不登校となる子どもの背後には必ず学内でのいじめの問題がある。時には教育行政のデータでは不登校といじめとが連動していないように見えることもあるが、現場で起きていることをどう吸い上げ評価しデータ化していていくかにはマジックがあるようであり、その数値をそのまま信用しにくいこともしばしばある。教育委員会等で「いじめはありましたが、それが生徒の自殺とどう結びつくのか、因果関係はわからない」などという論法と同じようなものがある。 [br]

▼さて、1キログラムに満たない未熟児として生まれて体の小さかった小林凛(本名:西村凛太郎)少年は、小学校に入ってから当然のようにいじめを受ける。そんな学校を休みがちの小林少年が俳句と出会ったのは意外に早い。3歳ころの幼稚園時代の絵本にあるらしい。その小林少年が9歳の時に朝日歌壇に初投稿した俳句が見事入選する。それがこれ。
紅葉で 神が染めたる 天地かな

大胆で斬新な切り口が注目された。以来、度々入選し、「天才少年現る」と評されることになる。 [br]

▼その小林凛君が遂に句集を出版した。これがこれ。「生きる希望は俳句を詠むこと」とか。
『ランドセル俳人の五・七・五』(ブックマン社)

  •  いじめられ 行きたし行けぬ 春の雨
  •  影長し 竹馬のぼく ピエロかな
  •  いじめ受け 土手の蒲公英 一人つむ
  •  ブーメラン 返らず蝶と なりにけり [br]

▼学校の先生に見せたところ、教師たちは何と言ったか。
ある教師は「俳句だけじゃ食べていけませんで」と言い、別のある教師は「おばあちゃんが半分作ってるのかと思っていました」と言ったとか。これが子どもの一番そばにいて子ども達を教育し評価することを仕事とする人の言葉である。
しかし、祖母は、出来上がった俳句がたとえ駄作でも「秀作!」と褒めたという。「物心つくころから他の子よりもできないことの多い 自分を感じている凛には、他から認められることが何よりの教育」と考えていたからだと言う。 [br]

▼子どもが不登校になると、家庭でその子をありのままに受け止めるどころか、学校の論理に輪をかけて、「学校にも行けないでどうするのよ!」などと、心の中で家族の救いを求めている子どもの気持ちを理解せず、生きている価値がないような否定的な非難の言葉を投げかけることが多い。
しかし、上記のように学校に期待できないことが多い。ならば、子どもを守り、感性をはぐくむ最後の砦は家族しかない。小林少年の家族の人達はみなそう思っていたことだろう。不登校の子どもが再び立ち直るために何が必要か—ここにそのヒントがありそうだ。 [br]

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「子どものいる風景」から 20140627号 ものまねの天才:コロッケさん

◆◆ ものまねの天才コロッケさんに学ぶ ◆◆ [br]
※コロッケ爆笑ものまね20連発 [br]
↑ クリック
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▼ある新聞がものまねの天才・コロッケさんの取材記事を書いている。コロッケさんは最近、『マネる技術』という本を出したそうな。そこには、「不細工を表現の武器にする」ことや「人前の恥ずかしさを解消する」方法などが公開されているという。彼は「自分のやりたいことのヒントになればいい」という。

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▼生い立ちにも触れている。笑いの絶えない母子家庭で育ったという。きっとそこで苦しさや辛さを笑いに転化する術を学んだのだろう。「ヨイトマケ」のお母さんを持った美輪明宏さんのように、往々にしてこういう天才の影には偉大な母の存在がある。彼の母の教えは「あおいくま」。「あせるな おこるな いばるな くさるな まけるな」。

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▼小学校時代、引っ込み思案の性格で、学校の成績はオール1だったとか。劣等生だったわけだ。でも、人気者の姉と二人で“マネる技術”を磨いた。転機は中学時代。封印を解いたものまねは大いに受けた!そこで喜ばれる喜びを知った。「相手に喜んでもらえれば、自分もうれしい」。自分でいい空気をつくる努力をするともいう。ところが最近、日本の社会で他人にかかわろうとしない風潮が広がっている—それが寂しいという。

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※「脱・不登校」にも大いに参考になる。不登校の子に特有の自己卑下や自己肯定感の欠如と相手への過剰な批判とか防衛反応—それはコインの裏表に等しい。要因は外部にもあり、内部にもある。もしかすると、「不登校」というのはそういう時代の風潮の先取りだったのかもしれない。今やそういうグレーゾーンの空気が日本全体を覆っている。そして、出口なしの閉塞感でいっぱいだ。日本沈没さえ真顔で囁かれる。

でも、出口がないわけではなかろう。d

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「子どものいる風景」から 20140621号 「もう黙っていられない!」


※”We cannot remain silent !!”「もう黙っていられない!」

(アップが遅れました)↑ クリック! [br]

▼福島県富岡町の農民・よしざわ まさみ さんが、国に抗議するため、自分の牛をトラックに乗せて東京霞ヶ関の農水省前にやって来た。 [br]

▼「ここに降りて来い。自分の目で確かめるんだ!
あなたたちは、街を捨て、避難者を捨てた!
牛も、人間も、まだ生きてるんだ!!
もう黙っていられない!」[br]

そう訴えたという。 [br]

▼よしざわさんは避難地域から自主退去するのを拒否して、家畜を守り続けてきた。だが、その家畜にも白い斑点が出て来た。放射能にやられた!かつてここにも牧歌的な「こども達のいる風景」があった。でも今は死の街、死の風景が広がるばかり。
[br]

▼政府はそういう場所にさえ大人やこどもを戻そうとする。狂気に取り憑かれた指導者達!こういう国の先に、子ども達の生きる未来は見えない。 [br]
命が大切であれば、政府や県がどうあれ、自らの意志で行動すべき。いつ?今です。「待った!」はありません。
“Now is the time to act !”[br]

切実にそう思います。結果は後からついてきます。まず逃げるべき。 [br]

※日本のマスコミは、新聞もテレビも、もうこういう報道はしないようです。国民に向けて真実を報道しないで、誰のためのマスコミなのでしょう? [br]
※こ報道も海外からのもの。日本のほとんどの国民は知らない。youtubeで探してもこの動画はでてこない。[br]
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「子どものいる風景」から 20140620号 素敵なネイマールの行動

[br] ◆◆ ワールドカップを観ながら考える ◆◆
[space size=1] [br]
  心からサッカーを愛する素敵なplayer Neymar   ← クリック! [br]
▼このビデオをご覧になって、どう感じられましたか?尊敬する素敵な選手と素敵な体験、素敵なショット!きっと一生消えることのない想い出を胸深く留めたことでしょう。
[space size=1] [br]
でも、警備の人がこの子をフィールド外にそのまま連れ出していたとしたら—。おそらくこの子は飛んでもない悪い子の烙印を押され、もしかするとそのご両親監督不行届のお咎めをこっぴどく受けていたかも知れませんね。 (ここで警備の人を咎めるつもりはありません。彼らは不測の事態が起こらぬように職務に忠実に行動しただけなのですから)
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でも、さすがブラジルのNeymar、子どもの純真な気持ちを察し、まるでわが子のように抱き上げ、みんなに胴上げまでさせる。後は見ての通りの展開。そこにサッカーを愛し、サッカーで結ばれた大人とこどもがいて、その子に最高のプレゼントをする。
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▼このことは、子育てにも当てはまるのかも。特に不登校の子どもと親御さんや教師との対応に。最後のよりどころとしてぱいでぃあの門を叩く子どもたちを見ていてそう思うことがあります。 飛んでもない子どもとか生徒とか見るのは親御さんや教師の方々。学校という組織をつつがなく運営するには仕方のないこともあるのかもしれませんが、当人の思いや立場を中心に考えれば、その子を活かすもっと別のやり方というものがあったのではないか—と思わないでもないことがあります。
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▼そういうことも含めて、「環境が大事」ということはいつも考えたいものです。 [br] ▼小学生の「算数」も「国語」も独自の教材で、本人の理解できるレベルに設定して指導しています。
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▼ただし、教科学習も不登校からの立ち直りの全体的対応の一部と考えています。まずは不登校生に元気になってもらうこと、それが「急がば回れ」の対応です。
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「こどものいる風景」から 20140619号

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※はじめに—このページは、《こどもの目に映る風景》についてのショートショートです。
       —- 大人の「常識」にメスを入れ、こどもの権利の復権を求めます —-
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▼小学生と中学生の違い、学年や年齢の違い、ぱいでぃあに来るようになった事情の違いはあるでしょうが、子ども達が一番求めているのは友達との出会い、人と人との出会いであると行っていいかも知れません。親御さんは我が子の将来を案じて様々な先取りの不安をしますが、子ども本人にとっては「《いま、ここで》どうするか&どうなるか」ということが最大の関心事であって、先のことはまだ考えられない状態にあります。
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▼ですから、私たちの関わりも、不安でいっぱい、自分がどう見られているかなどでこわごわ…というような子ども達の気持ちをそのまま受け止め、このぱいでぃあという場がそういう子達にとって安心していられる場、安心して他の子ども達と交われる場として機能することを第一に考えています。新しく入学してくる子のほとんどは精神的ダメージを受けていますが、そのダメージが強ければ強いほど自己卑下の感情も強くなっており、本当に薄皮一枚一枚はがすような丁寧な細心の注意を払った接し方必要となります。
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▼でも、その接し方が本物か偽物か、誠心誠意のものか適当に間に合せのものか…それを敏感に見抜く鋭い感性を持っているのもこういう子ども達です。誤魔化しは効きません。ただし、先の見通しまで持っていないのも事実です。ですから、ここは「子どもが〇〇と言っているから」と思考停止してしまい、親としての立場を放棄してしまうのではなく、スタッフと相談するなど、家庭でのあり方、子どもへの接し方などを訊いて欲しいところです。
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▼最初は不安で自分から声もかけられなかった子どもも、ぱいでぃあという自分の居場所、学習の場、古い自分こわしと新しい自分づくりの場を得て、教科学習に、室内ワーク(昔オモチャ遊びから木工製作まで)、室外ワーク(自然散策、初夏の草花スケッチ、果実採集、スポーツ活動など)、対人関係スキルなどに精を出す中で、少しずつ自分を肯定し他人をも認められるように変身していきます。私たちにとっては当然の変化ですが、きっと直接関わっているご家庭の方々がは体で実感できることではないでしょうか。
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▼今年の場合、例年に比べてもナイーブな新入学の子ども達が多く、その分ペースもスローの安全運転となっていますが、子ども達の変化は早く(子どもの自然治癒力の強さでしょうか)、やがては全員が自由な行動に参加できるようになっていくことでしょう。親御さん方はそういうお子さんの変化を見て小躍りするかもしれませんが、まずは一喜一憂せずこちらを信頼して通わせて頂ければ嬉しいく思います。
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▼今夏は夏に「夏期講習」を予定しています。私立中学校や公立高校・私立高校の受験生にとっては「夏を制する者は受験を制す」と言われるくらいの正念場。でも、不登校の受験生にとっては何とも重たい季節かもしれませんね。でも、安心です。ぱいでぃあの「不登校生のための夏期講習」はそういう現在不登校の生徒を対象に、不登校生でも安心して集え、安心して進学受験できるための「脱不登校のための勉強と対人関係スキル」を行います。ここを手掛かりに不登校の子どもが動き出すならば、公立学校受験は決して不可能ではありません。もちろん私立学校受験のご期待下さい。間もなく受付開始します。先着15名です。
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※今回は長文となりましたが、ここではなるべく毎日、数行のお知らせを載せたいと思います。
本格的なブログは、それぞれのサイトでご覧下さい。
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